二階 (松本清張)
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『二階』(にかい)は、松本清張の短編小説。『婦人朝日』1958年1月号に掲載、1959年2月に短編集『危険な斜面』収録の1編として、東京創元社より刊行された。
あらすじ
竹沢幸子の夫・英二は2年近く療養所にいたが、治癒の見込みはなかった。夫の懇願に負け、幸子は夫を自宅療養に切り替え、付添いの看護婦を頼んだ。看護婦・坪川裕子は経験も長く、その世話は行き届いていた。
印刷屋の仕事に忙しい幸子は、あまり夫の寝ている二階に上っていく暇がなかった。それは頼みにできる付添い看護婦をつけた安心もあるからだと幸子は信じていた。しかし幸子の心には、階段に足をかけるたびに、素直に上れない躊躇が起きた。幸子には、看護婦というよりも、一人の女が、二階で夫とひっそりと向かい合っているという意識が起こっていた。理由のない不安であった。実際、坪川裕子は常に忠実で慎み深かった。にもかかわらず、夫と看護婦のいる二階の圧迫に、幸子の心は追いつめられていく…。
エピソード
- 著者は「階上と階下に隔絶された夫婦の場合を心理的に構成したものである」と記している[1]。
テレビドラマ
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1965年版
1965年10月19日、関西テレビ制作・フジテレビ系列(FNS)の「松本清張シリーズ」枠(火曜21:00-21:30。早川電機工業一社提供)にて放映。
- キャスト
- スタッフ
- 脚本:高橋玄洋
- 監督:水野匡雄
関西テレビ制作・フジテレビ系列 松本清張シリーズ | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
ある小官僚の抹殺 (1965.10.12) | 二階 (1965.10.19) | 弱味 (1965.10.26) |
1977年版
二階 | |
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ジャンル | テレビドラマ |
原作 | 松本清張『二階』 |
脚本 | 服部佳 |
監督 | 柳井満 |
出演者 | 十朱幸代ほか |
製作 | |
プロデューサー | 石井ふく子 |
制作 | TBS |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1977年2月6日 |
放送時間 | 21:00 - 21:55 |
放送枠 | 日曜劇場 |
回数 | 1 |
1977年2月6日、TBS系列の「東芝日曜劇場」枠(21:00-21:55)にて放映。視聴率21.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)[2]。現在はDVD化されている。
- キャスト
- スタッフ
TBS系列 東芝日曜劇場 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
ゆきづりの朝 (1977.1.30) | 二階 (1977.2.6) | バースディ・カード (1977.2.13) |
脚注・出典
「二階 (松本清張)」の例文・使い方・用例・文例
- 私は二階で食事をしたほうが良いですか?
- 私は二階の寝室から玄関まで歩くことができなかった。
- 私のお母さんが二階から転落した。
- 私の母が二階から転落した。
- 彼は二階に上がって行った。
- 私は彼女の本を二階に運ぶのを手伝いました。
- 彼は二階から私に呼びかけた。
- 彼は私の手をつかんで二階へ引っ張って行った。
- 彼にこの箱を二階へ運んでもらおう。
- 彼が二階へあがっていくのが見えた。
- 二階の部屋を学生に貸した。
- 二階に行く途中で、私は有名なピアニストのことを考えていました。
- 二階からトランクを降ろしてくれませんか。
- 待っているとまもなく、二階に近づく足音が聞こえてきました。
- 私は彼にスーツケースを二階へ運んでもらいます。
- 私は彼が二階に荷物を運ぶのを手伝った。
- 私は店舗の二階に住んでいる。
- 私は鍵をもらい、二階の部屋へ行った。
- 私の部屋は二階の左側です。
- 子供達は一列になって二階にあがっていった。
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