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享保~延享~寛政期とは? わかりやすく解説

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享保~延享~寛政期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/02 21:52 UTC 版)

常磐津節」の記事における「享保~延享~寛政期」の解説

京都生まれ初代都一中学んだ都国太夫半中は、享保8年1723年)に師が没する都路太夫改名し独立劇的というよりは情緒的な芸風であったという。享保15年には、さらに宮古豊後改名し豊後節創始享保17年からは高弟である宮古文字太夫伴い名古屋進出する享保19年正月名古屋実際にあった心中事件題材とした出世作睦月連理椿」で大好評を得る。同年高弟文字太夫名古屋残してさらに江戸進出する播磨座で「おさん伊八道行」を演じ好評を受け、掾号を受領して宮古路豊後掾となり、大劇場である江戸中村座進出する当時豊後掾の髪形長羽織真似る「文金風」が一世風靡したが、享保7年から男女相対死(=心中)が法令禁じられており、煽情的とされ心中結び付けられ豊後節弾圧受けてしまう。元文元年1736年)には、文字太夫出演市村座小夜中浅間嶽」に対し江戸北町奉行興行中止命令元文3年江戸で舞台文字太夫ほか弟子にまかせ、豊後掾は西に戻り京阪劇場活躍する元文4年には、浄瑠璃太夫の名を出すこと、稽古場看板をあげること、文金風真似ること、などが禁止され、特に豊後節浄瑠璃語りが非常に厳し弾圧を受ける。 元文5年豊後掾が病死すると、延享2年1745年)に宮古路加太夫脱退新内節)、宮古路園八(宮園節)なども脱退し分派活動が起こる。高弟である宮古文字太夫も、延享4年1747年)に関東文字太夫改名したが、北町奉行により禁止され、その帰り際住居ある日本橋檜物町(ひものちょう)に常盤橋渡って戻る途中、師である豊後掾の本名石津司馬」の津を取り常盤津としたという説が有力である。後日、「皿」では割れてしまい縁起良くないので「石」に変更され、現在では「常磐津」と明記するのが正しいとされている。寛延元年1748年)に豊後節から共にしていた弟分初代常磐津小文字太夫常磐津抜け、のちの清元節前身である富本節創設常磐津節歌舞伎との関係を密接にし、扇情的だった豊後節より芸質の向上をめざし、義太夫節取り入れ豪快かつ勇壮さをもちながら品をよくし、舞踊との結合相応しく明確な風に移り変わった(例:蜘蛛糸梓弦)。この時代三味線初代佐々木市蔵二代目岸澤古式部などが勤めたが、明和5年1768年)に佐々木市蔵亡くなると、初代文字太夫タテ三味線に岸澤古式部を起用したことから佐々木派の三味線弾きから不満が起こり常磐津志妻太夫造酒太夫らが脱退しそれぞれ名賀派、富士岡派として一派形成したが、前者二代後者一代消滅した天明元年1781年)に初代常磐津文字太夫没すると、初代太夫初代文字太夫未亡人から相続し二代目文字太夫襲名二代目文字太夫二代目岸澤式佐初代鳥羽屋里長などの三味線と共に大い活躍し紅葉傘糸錦色木善知鳥安永7年)、積恋雪関扉関の扉天明4年)、四天王大江山入古山姥天明8年)、戻駕色相肩戻駕天明8年)、其扇屋浮名恋風吉田屋寛政2年)など、時代物世話物ともに現存する曲を初演し、常磐津節基礎整備する二代目文字太夫死後遺児之助はわずか8歳二代目小文字太夫襲名し若くして家元継いだが、跡目争い敗れ常磐津破門され二代目太夫吾妻太夫)が興した一派吾妻派)に押されていた。その窮地補佐したのが家元派の三代目太夫である。

※この「享保~延享~寛政期」の解説は、「常磐津節」の解説の一部です。
「享保~延享~寛政期」を含む「常磐津節」の記事については、「常磐津節」の概要を参照ください。

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