ぜん‐ちょう〔‐テウ〕【前趙】
前趙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/22 19:49 UTC 版)
前趙(ぜんちょう、拼音:Qiánzhào、304年 - 329年)は、中国の五胡十六国時代に存在した国。建国者は劉淵。当初の国号は漢であり、劉曜の時代に趙に改めたため、漢趙、また劉趙とも呼ばれる[1]。また、匈奴によって建国された国家であるため、劉曜による国号改名以前を匈奴漢と呼ぶ研究者もいる[2]。同時代に石勒が同じ趙を国号とした国を建てているので、劉淵の趙を前趙、石勒の趙を後趙と呼んで区別している。
- ^ a b c d e f g h i j k l 三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P60
- ^ 小野響「後趙建国前夜―匈奴漢国家体制試論」『立命館東洋史学』41号(2018年)、改題所収「後趙における君主権力の確立」小野『後趙史の研究』汲古書院(2020年) 2020年、P25-26.
- ^ a b c 三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P57
- ^ a b c d e f g 三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P58
- ^ a b c 三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P48
- ^ a b c d e f g h 三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P59
- ^ 三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P49
- ^ a b c d e f 三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P61
- ^ 三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P65
- ^ 小野響「後趙建国前夜―匈奴漢国家体制試論」『立命館東洋史学』41号(2018年)、改題所収「後趙における君主権力の確立」小野『後趙史の研究』汲古書院(2020年) 2020年、P40-44.
前趙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 14:50 UTC 版)
高祖光文帝(劉淵、在位304年 - 310年) 当初は「漢王」を自称、308年途中から皇帝と称する。 梁王(劉和、在位310年) 烈宗昭武帝(劉聡、在位310年 - 318年) 隠帝(劉粲、在位318年)靳準(在位318年) 靳明(在位318年) 趙主(劉曜、在位318年 - 328年) 劉煕(在位328年 - 329年) 隠帝の時、一旦滅んだが、劉曜が再び建国し、国号を「漢」から「趙」に変えた。
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