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匈奴とは? わかりやすく解説

きょうど【×匈奴】

読み方:きょうど

3世紀末から後1世紀末にかけて、モンゴル高原中心に活躍した遊牧騎馬民族秦代末の前209年冒頓(ぼくとつ)が単于(ぜんう)(君主)となり、北アジア最初遊牧国家建設東胡(とうこ)、大月氏征圧全盛となり、漢にも侵入したが、漢の武帝遠征内紛により、東西分裂し、後48年さらに南北分裂南匈奴は漢に服属し、北匈奴91年漢に討たれた。人種的にトルコ系説が有力。西方移動した子孫フン族であるといわれる


匈奴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/22 20:05 UTC 版)

匈奴(きょうど、簡体字中国語: 匈奴拼音: Xiōngnú ションヌゥ[1]、英:Xiongnu)は、古代中国の文献によると、紀元前3世紀から紀元1世紀後半まで、東部のユーラシア・ステップに住んでいた遊牧民の部族連合体である[2]。紀元前209年以降、最高指導者であった冒頓単于が匈奴帝国を建国したと中国の文献に記されている[3]


注釈

  1. ^ 音訳とする根拠は、各史書における表記の差異による。史書における表記には、恭奴(『漢書』匈奴伝)、凶奴(『蔡中郎集』黄鉞銘、『釈迦方志』巻上、『慈恩寺三蔵法師伝』、『三国史記』新羅紀)、兇奴(『大唐求法高僧伝』巻上)、胸奴(『塩鉄論』巻三十八)、降奴(『漢書』王莽伝)などがあり、類似の音を漢字で表記していることがわかる。
  2. ^ ユリウス・クラプロートが『史記』『漢書』匈奴列伝の「匈奴は夏后淳維の子孫である」という記述を元に提唱。
  3. ^ オーレル・スタインの発見した『ソグド語古代書簡』より[24]
  4. ^ しかし、これらの記述について小川琢治は『北支那先秦蕃族考』において後の『史記』における匈奴との関連を否定している。そして『史記』匈奴列伝、『後漢書』南匈奴伝では、匈奴の始祖は夏の一族である夏后氏の淳維であることが記されている。この記述に従えば、匈奴は夏王朝の末裔であり、その意味では匈奴は夏人(≒中国人)である。『楽彦括地譜』でも、夏の王の子の獯粥が北野に避居し、随畜移動するようになったと記している。
  5. ^ 1970年代に発見された南シベリアアルジャン古墳英語版出土品の考古学的分析による[27]
  6. ^ 「烏掲」、「呼偈」とも記され、後のテュルク系民族オグズ(Oγuz)の祖先とされる[32]
  7. ^ 「薁鞬」は「奥鞬」とも記され、顔師古が『漢書』に「奥の音は郁」と注したことから「いくけん」と発音する。Groot(1921年)はこれをモンゴルの「Orkhon」(オルホン)を写したものとしたが、顔師古の『漢書』注や康居に奥鞬城があったことなどから、オルホンに結び付けることは困難であり、むしろ後の突厥などに見られる官号「irkin」(イルキン)に比定する説の方が有力となっている[34]
  8. ^ これに対し、元の匈奴を北匈奴と呼ぶ。
  9. ^ その後の北匈奴は康居の地に逃れて悦般となる[36]
  10. ^ しかし、後趙も後継争いが起きて漢人の冉閔によって国を奪われた(冉魏[37]
  11. ^ 戦国時代当時ではズボンの概念はなく、いわゆる着物を着ており、馬に跨ることができず、常に戦車に乗って戦っていた。しかし、それでは騎馬戦術に長ける騎馬民族に劣っていたため、趙の武霊王は胡服騎射(騎馬民族風の服を着て、騎射を行う)を中原で初めて取り入れて戦に活用したという[39]
  12. ^ 踝(くるぶし)を押し潰す刑であったとしている[17]
  13. ^ 「単于」という君主号が頭曼以前からあったものなのか、頭曼から称すようになったのか、それとも冒頓から称すようになったのかは不明である。また、H.W.Haussingドイツ語版(1953年)や内田吟風(1956年)によると、「単于」の原音はtarγüに近いものであったと推考される。また、完称である「撐犁孤塗単于」について、“撐犁”はテュルク語、モンゴル語の「tengri:天」、“孤塗”はツングース語の「guto:子」あるいはエニセイ語の(bi)kjaiに相当するとされる。意味は『漢書』匈奴伝に「匈奴、天を云いて撐犁となし、子を云いて孤塗となす。単于は広大の貌なり」とある。
  14. ^ 白鳥庫吉(1941年)は屠耆をモンゴル語の「čige:正直」、トルコ語コイバル方言の「sagastex:賢」に、B.Munkacsiハンガリー語版(1903年)はモンゴル語の「čečen, seseŋ:賢」にそれぞれ比定した[45]
  15. ^ 白鳥庫吉(1941年)はモンゴル語の「khutuk」、トルコ語の「kut, kutluk:威厳神聖」に比定し、P. Boodberg(1936年)は、この官が単于族の姻族に占められていることより、トルコ語の「qudu:義父」に漢語の「侯」が付いたものと解し、L. Bazin英語版(1950年)は「幸福をもたらす者」の意味を有する古モンゴル語「qurtulγu」であると想定した[46]

出典

  1. ^ Martini, Martino (2002). Opera omnia. ISBN 9788884430281. https://books.google.com/books?id=MtkvAQAAIAAJ&q=hiungun+xiongnu 
  2. ^ Xiongnu People”. britannica.com. Encyclopædia Britannica. 2020年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月25日閲覧。
  3. ^ Di Cosmo 2004, p. 186.
  4. ^ Grousset 1970, pp. 19, 26–27.
  5. ^ Pulleyblank 2000, p. 17.
  6. ^ Schuessler 2014, pp. 257, 264.
  7. ^ Beckwith 2009, p. 404–405 notes 51–52.
  8. ^ Étienne de la Vaissière (15 November 2006). "Xiongnu". Encyclopedia Iranica online. 2012年1月4日時点のオリジナルよりアーカイブ
  9. ^ Harmatta 1994, p. 488: "Their royal tribes and kings (shan-yü) bore Iranian names and all the Hsiung-nu words noted by the Chinese can be explained from an Iranian language of Saka type.
  10. ^ Bailey 1985, pp. 21–45.
  11. ^ Jankowski 2006, pp. 26–27.
  12. ^ “Anthropology of Archaeological Populations from Northeast Asia”. Oriental Studies (Dankook University Institute of Oriental Studies) 49: 25, 27. (February 2011). http://user.dankook.ac.kr/~oriental/Journal/pdf_new/49/11.pdf. 
  13. ^ Hucker 1975, p. 136.
  14. ^ Savelyev, Alexander; Jeong, Choongwon (May 10, 2020). “Early nomads of the Eastern Steppe and their tentative connections in the West”. Evolutionary Human Sciences 2. doi:10.1017/ehs.2020.18. PMC 7612788. PMID 35663512. https://doi.org/10.1017/ehs.2020.18. 
  15. ^ Di Cosmo 2004, p. 166.
  16. ^ Geng 2005.
  17. ^ a b c d e f g h 内田 1975, p. 41
  18. ^ 林 2007, p. 182
  19. ^ 薩孟武『西遊記與中國古代政治』三民書局、2018年7月13日、47頁。ISBN 9789571464183。"武帝說:「昔齊襄公復九世之謎,《春秋》大之。」(《漢書》卷九十四上〈匈奴傳〉)壯哉斯言。及至宣帝,匈奴款塞來朝,而東胡,西戎,北狄,南蠻罔不臣朝。從而華夷之別又一變而為天下一家的思想。說匈奴,則曰夏后氏之苗裔(同上);說西南夷,則曰高辛氏之女與其畜狗槃瓠配合而生的子孫(《後漢書》卷八十六〈南蠻,西南夷傳〉);說朝鮮,則曰武王封箕子於朝鮮,其後燕人衛滿又入朝鮮稱王(《漢書》卷九十五〈朝鮮王滿傳〉); 說西羌,則曰出於三苗(《後漢書》卷八十七〈西羌傳〉)。這樣,全亞洲的人民幾乎無一不與華人有血統關係了。"。 
  20. ^ 『匈奴史稿』P121
  21. ^ アーカイブされたコピー - ウェイバックマシン(2011年12月3日アーカイブ分)
  22. ^ 『東西交渉史上より観たる遊牧民族』[要文献特定詳細情報]
  23. ^ 『張騫西征考』[要文献特定詳細情報]
  24. ^ 《森安 2007,p100》
  25. ^ 『騎馬民族史1』p4 注1
  26. ^ 沢田1996 p187
  27. ^ 林 2007, pp. 78–86, 120
  28. ^ 林 2007, pp. 311–312
  29. ^ 『史記』秦本紀
  30. ^ 『史記』廉頗藺相如列伝
  31. ^ a b c d e f g 『史記』匈奴列伝
  32. ^ 《『騎馬民族史1』p19 注31、P100 注3、p106 注18》
  33. ^ a b c d e f g h i j 『漢書』匈奴伝
  34. ^ 《『騎馬民族史1』p95 注78、p99 注2》
  35. ^ a b c d 『後漢書』南匈奴列伝
  36. ^ 魏書』列伝第九十、『北史』列伝第八十五
  37. ^ 『晋書』劉元海載記・劉聡載記・劉曜載記・石勒載記上・石勒載記下・石季龍載記上・石季龍載記下
  38. ^ 『魏書』帝紀第一・列伝第十一・列伝第七十一上・列伝第八十三、『晋書』赫連勃勃載記
  39. ^ a b c d e f 林 2007, p. [要ページ番号]
  40. ^ 『匈奴史稿』[要文献特定詳細情報]
  41. ^ 沢田 1996,p98
  42. ^ 岩村 2007,p39
  43. ^ G.エージェン. “흉노 귀족계층 무덤의 연구”. 2017年12月23日閲覧。
  44. ^ 小松 2005,p52
  45. ^ 《『騎馬民族史1』p13 注22》
  46. ^ 《『騎馬民族史1』p10 注17、p13 注21》



匈奴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/04 01:59 UTC 版)

五胡」の記事における「匈奴」の解説

詳細は「南匈奴」を参照 秦漢帝国対峙した北方遊牧民族である匈奴は、漢の武帝征討等によって次第国力衰微する後漢代分裂し、西走したもの北匈奴呼韓邪単于(日逐王)の統制下で華北移住したものが南匈奴呼ばれる後漢三国魏の抑圧を受けながら南匈奴漢民族混在して農耕受け入れ定住化し、人口西晋時代には100万超えていた。 304年南匈奴劉淵が漢王を称して西晋から独立し劉淵建てた漢(前趙)は西晋滅ぼして五胡十六国時代幕を開けた同じく五胡十六国時代に、407年南匈奴末裔名乗る匈奴鉄弗部赫連勃勃が夏を建国した。

※この「匈奴」の解説は、「五胡」の解説の一部です。
「匈奴」を含む「五胡」の記事については、「五胡」の概要を参照ください。

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匈奴

出典:『Wiktionary』 (2021/07/25 13:31 UTC 版)

この単語漢字
きょう
表外漢字

常用漢字

発音(?)

きょ↘ーど

固有名詞

きょうど

  1. 歴史紀元前4世紀頃から5世紀にかけてモンゴル高原住んでいた遊牧民族

翻訳


「匈奴」の例文・使い方・用例・文例

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