埋蔵金の出所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 23:06 UTC 版)
他にも徳川埋蔵金については様々な説が出されている。 久能山御用金説 徳川家康が残した軍用金は久能山東照宮に納められたが、神柩を日光へ移す際に江戸城へと運ばれた(久能山御蔵金銀)。そのほとんどは日光東照宮の造営や徳川家光の上洛などで使い果たされたとされているが実は裏帳簿により一部が残されて埋蔵金となった。 他家埋蔵金説 江戸幕府は各地に残る大名の埋蔵金伝説をもとに発掘プロジェクトを実施している。結城埋蔵金等、その全ては失敗に終わったとされているが、実は成功したものが幾つかあり、それらをまとめて埋蔵した。 国家予算流用説 第二次世界大戦直後の日本政府がそうであったように、いかに財政難とは言え、破綻していない以上は国家として事業を運営する為の資金は常備されているものである。国家の大事として大老と勘定奉行が画策したのであれば、国家予算の一部を埋蔵して機に備えるということも十分に考えられる。
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