じょ‐ちゅう〔ヂヨ‐〕【女中】
女中
『パミラ』(リチャードソン) 田舎の貧しい家に生まれ育った「わたし(パミラ)」は、12歳にならないうちに、大地主B家の奥様付きの小間使いになる。奥様は「わたし」が15歳の時に亡くなった。奥様の息子である新しい御主人は25~26歳の青年だったが、美貌の「わたし」に目をつけ、妾にしようとする。御主人に迫られ、恐ろしさのあまり、「わたし」は失神したことが何度かあった。「わたし」が気を失うと、御主人はそれ以上の手出しはしなかった。やがて御主人は「わたし」の純潔と淑徳を認め、16歳になった「わたし」と正式に結婚した。
『悲の器』(高橋和巳) 「私(正木典膳)」は国立大学法学部長で、著名な知識人である。妻が癌で病床に臥したため、「私」は、戦争未亡人の米山みきを家政婦として雇い入れ、やがて内縁関係になった。妻はそのことを察知し、睡眠剤を多量に飲んで死んだ。先輩教授の令嬢・栗谷清子が「私」に好意を寄せ、「私」は彼女と婚約する。米山みきは怒り、慰謝料請求の訴えを起こす。新聞雑誌は「私」を指弾した。「私」は職を辞し、栗谷清子とも別れる。米山みきは、いずれ安アパートで縊死する運命だ。「私」は誰からも理解されぬまま、この社会との戦いを続けるだろう。
*雇い主が小間使いを妊娠させて捨てる→〔裁判〕2の『復活』(トルストイ)。
*裕福な家庭の大学生が、女中と性関係を結ぶ→〔身分〕1bの『大津順吉』(志賀直哉)。
『好人物の夫婦』(志賀直哉) 晩秋から初冬にかけて、細君が祖母の看病に大阪へ出かけ、家を留守にした。その間、家は良人(おっと)と、18歳くらいの女中・滝の、2人だけになった。春、滝に悪阻(つわり)の症状が出た。良人は独身時代には女中に手をつけたことが1度ならずあったが、今回は潔白だった。細君は良人を疑いながらも、何も言い出せない。良人が「俺じゃないよ」と言うと、細君は安堵して泣いた。
『ハウス・バイ・ザ・リヴァー』(ラング) 小説家スティーヴンは妻の留守中に、若い家政婦エミリーを抱いて接吻しようとする。エミリーは抵抗し、大声をあげる。隣家に声が聞こえてはまずいので、スティーヴンはエミリーの口をふさぎ、誤って窒息死させてしまう。スティーヴンは大きな布袋にエミリーの死体を入れ、家の側を流れる川へ棄てる→〔物語〕9b。
★5.家政婦が、雇われ先の家庭の秘密をあばき、家族の不和を煽(あお)り立てて楽しむ。
『熱い空気』(松本清張) 家政婦・河野信子は、中年の大学教授・稲村の家に雇われた。一家は、神経質な稲村、見栄っ張りの妻・春子、粗暴な3人の子供、嫁を嫌う姑、という家族構成であった。信子は、子供をあやつって姑の耳に大火傷をさせたり、稲村の浮気をあばいたりして(*→〔チフス〕2)、家族が崩壊して行くありさまを見つつ楽しむ。しかし最後には、信子は、子供のいたずらによって、火のついた竹矢を耳に射込まれてしまった〔*テレビドラマ『家政婦は見た』第1回の原作〕。
『小間使の日記』(ブニュエル) 小間使セレスティーヌが、田舎のモンテイユ家(モンテイユ氏、妻、妻の父、下男ジョセフ、下女たち)に奉公する。近くに住む少女が森で強姦され、殺された。セレスティーヌは「ジョセフが犯人だ」と確信し、ジョセフと寝て問い質(ただ)すが、彼は口を割らない。そこでセレスティーヌは、ジョセフの靴の金具を取り外して殺人現場に置き、それが証拠となってジョセフは逮捕された〔*セレスティーヌは隣家の富裕な老人と結婚する。一方、ジョセフは証拠不十分で釈放された〕。
女中
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女中(じょちゅう、めちゅう[要出典])とは、家庭・旅館・料亭などにおいて、住み込みで働く女性の日本における歴史的呼称である。
近世
近世の日本では、雇用または金銭の対価として身売りされて、武家や商家、庄屋の戸籍に登録され、家業や家内雑務で労働する女性を女中と呼んだ。また、接客や主人夫妻の身の回りの世話に関わる女性は上女中(かみじょちゅう)[1]と呼ばれていたが、女中とは明確に異なる身分であり両者は断絶した存在で高い身分を出自とする娘に限られる。炊事や掃除などを行い水回りを担当する下女中(しもじょちゅう[2]、あるいは下女[3][4])は、一般的に上使い、仲働き、端下などと分類され、出自によって役務に違いが見られた。
上女中
商家や上層農家の娘などが、本家や豪商のもとへ数年間奉公に出る際に、上女中として雇われる習わし(行儀見習い)があり、結婚前の女性に対する礼儀作法や家事の見習いという位置づけがなされていた。雇用者夫妻の身の回りの世話をはじめ、外出のお伴、子弟の養育、仏壇回りや上座敷の掃除などを担い、使いに出る際、帰宅した際には雇用者夫妻に口上を述べた。また、雇用者宅を訪ねる客人への接待を通じて、物言いや挨拶の仕方を会得しつつ、人物を見る目を養ったとされる。並行して、裁縫、生け花、お茶などの女性としてのたしなみを身につけた。上女中を経験した女性の多くは、武家や商家の妻に納まっている。安政3年(1856年)に書かれた、外村与左衛門家の家訓『作法記』によると、「本家、上女中在留分、別宅の娘を召仕え申すべきこと、但し、納まり方も別家の内を見立て差配いたすべきこと」(本家では別家の娘を上女中として採用し、上女中を経た娘の嫁ぎ先は他の別家から世話するように)という記述があり、雇用者夫妻がその後の縁を取り持つこともあったとみられる。
女中
当時の日本では身分制度が確立されていたために、女中と主人夫妻の関係は封建的主従関係であるから忠誠を要求され、両者の関係は法の枠外に置かれ主人夫妻は私的制裁権を持っていた。
江戸中期には大都市や都市の町人身分の中の富裕な家の家業発展により、近郊農村出身の女性を買い入れる地盤が出来上がっていた。下男、下女ともに、請け宿[5](口入れ屋、他人宿とも)の仲介で、毎年3月4日の「出替りの日」に奉公先に編入した。奉公の条件は、1日14時間前後の年間360日労働、三食付き着衣貸与で、年に2両ほどの給金や借金返済であった。1年或は半年契約の年季奉公であったが、働きが真面目であったり主人のお気に入りになったりすると、次の年も引き続いて奉公することがあり、「重年(ちょうねん)」や「居なり」と言った。
近代
明治時代以降、富裕な家の増加によって女中の雇用は広がり、また帝国政府の封建的主従関係の排除政策に由って上女中と下女中の区別は薄れて、家事全般を執り行う労働者を女中と呼ぶようになった。また、女中の位置づけについても奴隷的な奉公人から、教育水準が低い下層階級子女(主に小作人の娘など)の就業先という性格が強まっていった。20世紀も1950年代後半頃に差し掛かると、女性の権利意識向上、就学率の上昇などに伴い、こうした奉公人的性格を持つ女中の担い手は徐々に減少していった。代わって明確な雇用契約に基づくお手伝いさん(家政婦)と呼ばれる類似の職業が一般的になっていった。
現代
女中という呼称は廃れる傾向にあるが、その後も和風旅館や料亭などにおいて接客を行う(必ずしも住み込みとは限らない)女性を、女中と称することがある。これらの職業に対しては、仲居という呼称がより一般的に用いられている。
家事をする女性に対しては住込みメイドと言われ、海外(特に途上国)では一般的である。途上国(戦前の日本も含まれる)ではホワイトカラーとブルーカラーとの賃金格差が大きく、前者はメイドを雇いやすい。育児をする女性はナニー・ベビーシッターと呼ばれるが、富裕層ではなく中流家庭に雇われるとメイドが兼務することになる。また介護に関しては、ヘルパー費用の7~9割が介護保険で賄われるようになった。
学術用語としての「女中」
日本の朝廷では、天皇が政務や儀礼を行う「表」(表向)の内裏と私的な生活空間である「奥」(奥向)の後宮が明確に区別されていた(三分法を用いる場合には天皇が直接関与しない事務方の「口向」が加わる)[6]。「表」と「奥」の分離はやがて公家や武家の間でも取り入れられていく[7]。江戸城に置かれた将軍の私的な生活空間である「大奥」もその区別に由来している。
江戸時代の朝廷では制度上は上位の女官を「女房」、下位の女官を「女中」と呼ぶことになっていたが[8]、実際の運用においては「女房」も「女中」も女官全体に対して用いられていた[9]。また、江戸時代における武家(将軍家や大名家)の奥に仕える女性については「女中」の呼称が一般的である事から、日本近世史の学術用語として公武を問わず「奥」に仕える女性という共通の位置づけを前提として、朝廷に仕える女性に対しても「女官」に代わって「女中」を使うケースが見られる(この場合の「女中」には女官制度の枠に含まれない禁裏や院に仕える女性達も含まれている)[10]。
脚注
- ^ 『上女中』 - コトバンク
- ^ 『下女中』 - コトバンク
- ^ 『下女』 - コトバンク
- ^ 『下女奉公』 - コトバンク
- ^ 『請宿』 - コトバンク
- ^ 石田俊「近世朝廷における意思決定の構造と展開」『近世公武の奥向構造』(吉川弘文館、2021年) ISBN 978-4-642-04344-1 P122-124.(初出は『日本史研究』618、2014年)
- ^ 新人物往来社「歴史読本」2011年3月号P140-146「信長・秀吉の奥と将軍の大奥」
- ^ 高橋博『近世の朝廷と女官制度』吉川弘文館、2009年、P4-5.
- ^ 石田俊「近世朝廷における意思決定の構造と展開」『近世公武の奥向構造』(吉川弘文館、2021年) ISBN 978-4-642-04344-1 P154.(初出は『日本史研究』618、2014年)
- ^ 石田俊「近世朝廷における意思決定の構造と展開」『近世公武の奥向構造』(吉川弘文館、2021年) ISBN 978-4-642-04344-1 P154-155.(初出は『日本史研究』618、2014年)
関連項目
外部リンク
女中
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「女中」の例文・使い方・用例・文例
- 女中は家庭内の決まりきった仕事に飽き飽きしていた。
- 私は新しい女中がたいへん気に入っている。
- 指輪を盗んだというトムの自白で女中の容疑は晴れた。
- どうぞ女中さんにそれを私の部屋へ運ばせてください。
- その劇で彼女は女中と女店員との二役を努めた。
- その劇で彼女は女中と女店員との二役を務めた.
- 下女, 女中.
- 女中[下男]奉公.
- その中には女中さんへのチップもこめてある.
- まるで私を女中かなんかのように, 用を言いつける.
- うちの女中は山出しで悪擦れしていません
- 山出しの女中
- 田舎から来たばかりの女中だ
- 女中は井戸へ水を汲みに行っている
- 女中が井戸端へ行っている
- 女中が入代る
- 女中は赤い前掛けを締めている
- 赤い前掛けを締めた女中
- 女中を二人おく
- 女中の多くは花見時だけ臨時に雇うのだ
女中と同じ種類の言葉
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