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山根幸夫とは? わかりやすく解説

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山根幸夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/24 13:31 UTC 版)

山根 幸夫やまね ゆきお
人物情報
生誕 (1921-08-02) 1921年8月2日
日本 兵庫県
死没 2005年6月24日(2005-06-24)(83歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 東洋史(中国近現代史)
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山根 幸夫(やまね ゆきお、1921年8月2日[1][2] - 2005年6月24日)は、日本の東洋史学者。専門は代史および中国近現代史。

経歴

兵庫県神崎郡越知谷村(現・神河町)に生まれる[1]1941年4月東京帝国大学文学部東洋史学科入学。同期の神田信夫(専門は代史)とは後に共著を出版。1942年10月から1945年9月まで肺結核のため休学する[3]1947年9月に東京帝国大学卒業。同年10月、東京大学大学院特別研究生(文部省給費)に採用される[1][4]

1952年4月東洋大学文学部講師1953年助教授1954年4月から4年間、公益財団法人 東洋文庫研究員をつとめ、1958年東京女子大学文学部助教授、東洋文庫兼任研究員となる。1961年同大学文理学部[5]教授となり、1990年3月同定年退職。退職と同時に東京女子大学名誉教授

この間、1967年秋より東洋文庫を拠点に明代史研究会を開始[1]1974年より『明代史研究』を独力・手書きでほぼ年刊で刊行。東洋史を中心とした日中学術交流にも尽力する。母校の東京大学早稲田大学明治大学など多くの大学で教鞭をとった[6]

2005年6月24日、慢性膿胸症のため死去[2]

主な著書

単著

その他多くの文献資料目録を編纂

中国研究

共編著

東大東洋史同期生

  • 神田信夫と共編『戦中戦後に青春を生きて―東大東洋史同期生の記録』山川出版社、1984。ISBN 978-4634640702[7]
    • 山根幸夫:pp.i-iv「序」、pp.207-224「休学より復学まで」、pp.225-228「級友の横顔」
  • 神田信夫・谷井精之助と共編『東大卒業五十年 われわれの道程―東洋史同期生の記録』山川出版社、1996。ISBN 978-4634643802

脚注・出典

  1. ^ a b c d 略歴と業績, p. 1.
  2. ^ a b 『現代物故者事典2003~2005』(日外アソシエーツ、2006年)p.637
  3. ^ 山根幸夫 1984, pp. 213, 217.
  4. ^ 山根幸夫 1984, p. 222.
  5. ^ 1961年文学部を改組し文理学部を設置
  6. ^ 略歴と業績.
  7. ^ 柳田節子(学習院大学教授) (1984年8月). “書評 神田信夫・山根幸夫編『戦中戦後に青春を生きて - 東大東洋史同期生の記録』”. 『中国研究月報』中国・アジア研究論文データベース. 2024年11月24日閲覧。

参考文献





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