平沼用水
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平沼用水(ひらぬまようすい)とは明治期の記録である武藏國郡村誌(第十二巻142項)に「平沼堀」として記述されている水路である。かつて、現在のピースロード付近で二条の水路に分水していた。本流はそのまま大きな弧を描くように平沼の東方を流下し、支流は分流地点より南南西へ流れ埼玉県道153号幸手久喜線を横断後(現在の青葉公園北東部に所在する入口付近にて横断)、流路を南東へ変え、平沼悪水方面へ流下していた。この支流が平沼土地区画整理事業・青毛特定土地区画整理事業にて流路を多少移動されつつ、青毛小学校より久喜東中学校南東までの区間における、後の平沼落川の本流になる。平沼用水の本流は支流と分流後、大きな弧を描きながら大字青毛字中村(北側)と大字青毛字平沼(南側)の境界のやや字平沼側を東南方へ流下し、埼玉県道153号幸手久喜線を横断、大字栗原字谷足方面へ流下していた。その後大字吉羽字一番方の集落の西方に沿うように南流・南西へと弧を描きながら流下し、大字吉羽字平沼(現在のけやき通り(市道平沼和戸線)、吉羽大橋付近)にて青毛堀川へと流下、終点となっていた。本流が埼玉県道153号幸手久喜線を横断する付近の流路においては平沼土地区画整理事業が行われた後、青葉側では平沼悪水の区画整理事業後の流路へと平沼用水の流末を付け替えた。その後、青毛特定土地区画整理事業によって青毛側の流路は埋め立てられ、本流はかつての平沼用水の支流の区画整理事業後の流路へと付け替えられた。このように後から青毛側の区画整理事業が行われたため、久喜東中学校の東側の流路が残ることとなった。 現在の青葉5丁目より、けやき通りを挟み反対側(東側)をけやき通りに並行して南へと流下し、吉羽大橋の東側にて青毛堀川へと至る流路が存在するが、これは平沼用水の残存流路の一つである。現在この区間では水源がないこともあり用水路としてではなく、もっぱら排水路として利用されている。平沼用水の東方に沿うように、大字青毛字中村より大字吉羽の青毛堀川橋梁「江口橋」まで古道が存在していた。現在、青毛地内では土地区画整理事業のため一部のみ現存、栗原地内では土地区画整理事業のため栗原2丁目地内にて一部現存、栗原1丁目以南からは全線現存している。
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