Location via proxy:   [ UP ]  
[Report a bug]   [Manage cookies]                

徳久恒範とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 徳久恒範の意味・解説 

徳久恒範

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/02 15:12 UTC 版)

徳久恒範

徳久 恒範(とくひさ つねのり、1844年2月16日天保14年12月28日)- 1910年明治43年)12月30日)は、幕末佐賀藩士明治期の官僚政治家県知事貴族院議員

経歴

佐賀藩士・徳久恒忠の長男として生まれる。明治4年(1871年)、佐賀藩少参事に就任。その後、明治政府に出仕し、兵部七等出仕に就任し、さらに陸軍少佐となる。1879年熊本県一等警部に就任。以後、同警部長石川県栃木県兵庫県の各書記官などを歴任。

1892年8月、富山県知事に就任。産業振興、実業学校の設置などを推進した。1896年4月、香川県知事に転じ、工芸学校の設置、稲作の改良などを推進。1898年7月、熊本県知事となる。1903年6月、広島県知事に就任し、1904年1月まで在任し休職となった。

1904年8月22日、貴族院勅選議員に任じられ[1]、死去するまで在任した。1905年11月1日、錦鶏間祗候となる[2]

その他、韓国拓殖株式会社監査役、朝日肥料株式会社取締役、臨時博覧会事務委員などを務めた。

栄典

位階
勲章等

親族

脚注

  1. ^ 『官報』第6345号、明治37年8月23日。
  2. ^ 『官報』第6705号、明治38年11月2日。
  3. ^ 『官報』第2776号「叙任及辞令」1892年9月27日。
  4. ^ 『官報』第5833号「叙任及辞令」1902年12月11日。
  5. ^ 『官報』第6548号「叙任及辞令」1905年5月2日。
  6. ^ 『官報』第3451号「叙任及辞令」1894年12月27日。
  7. ^ 『官報』第4651号「叙任及辞令」1899年1月4日。

参考文献





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「徳久恒範」の関連用語

徳久恒範のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



徳久恒範のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの徳久恒範 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS