李立
字は建賢。涿郡の人。 後漢末期、劉表の部将である李氏はたいそう富み栄えており、数百もの使用人を抱え、漢水沿岸に城塁を築いたという。これが李立のことと考えられている《劉表伝集解》。しかし李立は涿郡の人である。劉表の部将であったとしても異国の地において城塁を築いたり多数の使用人を抱えたりしていたと考えるのは困難だろう。また荊州を平定したばかりで、曹操が劉表の旧将を登用するとも考えにくい。やはり別人と見るべきである。 建安十三年(二〇八)、曹操の軍勢が襄陽に到着すると、劉琮は荊州をこぞって降服し、劉備は夏口へと逃走した。曹操は荊州を平定すると、李立を荊州刺史とした《劉表伝》。 それ以前のこと、華容県に一人の女子があり、「荊州で大きなお葬式があるよ」と言ったので、県役人は妖しげな風説を吐いているとして牢獄に閉じ込めた。一ヶ月余りして、その女子は「劉荊州(劉表)どのが今日亡くなられた」と号泣した。華容県は州府まで数百里も離れていたが、すぐさま使者を出して確認させると、劉表は本当に死んでいたのであった。女子は赦免されて外に出ると「李立が貴人になるとは思わなかった」と歌い出した。李立が荊州刺史に任じられたのは、それから間もなくのことであった《劉表伝》。 |
李立
李立(催命判官)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 23:41 UTC 版)
「大水滸シリーズの登場人物」の記事における「李立(催命判官)」の解説
兵站担当。1078年生まれ。身長 - 170cm、体重 - 60kg。
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