梶一郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/08 12:30 UTC 版)
梶一郎 九段 | |
---|---|
名前 | 梶一郎 |
生年月日 | 1912年6月6日 |
没年月日 | 1978年1月20日(65歳没) |
プロ入り年月日 | 1934年(21歳) |
引退年月日 | 1959年(46歳) |
棋士番号 | 12 |
出身地 | 東京府東京市(現:東京都台東区[注 1]) |
所属 | 日本将棋連盟(関東) →将棋大成会(関東) →日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 土居市太郎名誉名人 |
段位 | 九段 |
棋士DB | 梶一郎 |
順位戦最高クラス | A級(1期) |
2017年8月21日現在 |
梶 一郎(かじ いちろう、1912年6月6日 - 1978年1月20日)は、将棋棋士、九段。土居市太郎名誉名人門下。棋士番号は12。東京府東京市(現:東京都台東区[注 1])の生まれ。
経歴
元号が明治から大正に変わる前月の明治45年(1912年)6月の生まれである。
1928年、土居市太郎に入門。同年9月に関東の奨励会が創設されている。
プロ入り(四段昇段)は1934年。以降昇段を重ね、戦時中の1943年に八段まで上り詰める。
戦後に始まった第1期順位戦(1946年度)では、A級(八段リーグ)からスタート。4勝9敗の成績で陥落枠7名の中に入り、第2期はB級で指す。
第11期(1956年度)B級2組順位戦で2位(9勝4敗)の成績を収め、B級1組に復帰。
第2回(1957年度)東京新聞社杯戦で高松宮賞を獲得。
第13期(1958年度)B級2組順位戦で、0勝3敗の後の7局を不戦敗とし、1959年、現役を引退。まだ46歳であった。
1978年1月20日、肺炎で[1]死去。享年65。同日付で九段を追贈される。
人物
- 師匠の土居市太郎の次女と結婚している。
- 梶にはプロ棋士になった弟子はいないが、後に観戦記者となった東公平は、梶門下で奨励会で指し、初段で退会している。
- 第12期順位戦(1957年度)B級1組では12戦中1勝11敗の成績とし、全12局制の順位戦において「この十一敗は新記録?」と自身のコラム(ベテラン閑談「近代将棋」1958年7月号)の中で取り上げている[2]。同コラム内では、梶が「五百何手の最長手数の愚戦[注 2]を演じたり、三十三手の最短手数で負けたり」したことにも触れ、梶自身が「レコードメーカー」と揶揄されたとも記している[2]。
棋風
居飛車党で、相掛かりや変則的な矢倉の形の将棋が多い。横歩取り3三角戦法を内藤國雄以前に指している。時折振り飛車も指し、升田幸三を相手に中飛車で戦って勝った一局もある。
昇段履歴
- 1928年 : 入門
- 1934年 : 四段 = プロ入り
- 1936年 : 五段
- 1938年 : 六段
- 1940年 : 七段
- 1943年 : 八段
- 1959年 : 引退
- 1978年1月20日: 死去。同日付で九段を追贈される。
主な成績
表彰
- 東京新聞社杯高松宮賞争奪将棋選手権戦 高松宮賞1回(1957年度 = 第2回)
在籍クラス
開始 年度 | 順位戦 出典[5] | 竜王戦 出典[6] | ||||||||||||||||
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T | |||||
1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1947 | 1 | A 11 | 4-9 | |||||||||||||||
1948 | 2 | B106 | 5-7 | |||||||||||||||
1949 | 3 | B1 | 1-3 | |||||||||||||||
1950 | 4 | B1 | 4-4 | |||||||||||||||
1951 | 5 | B1 | 6-6 | |||||||||||||||
1952 | 6 | B110 | 7-5 | |||||||||||||||
1953 | 7 | B107 | 7-5 | |||||||||||||||
1954 | 8 | B103 | 4-8 | |||||||||||||||
1955 | 9 | B202 | 7-5 | |||||||||||||||
1956 | 10 | B206 | 9-4 | |||||||||||||||
1957 | 11 | B114 | 8-5 | |||||||||||||||
1958 | 12 | B104 | 1-11 | |||||||||||||||
1959 | 13 | B202 | 0-12 | |||||||||||||||
1959年引退 | ( 棋戦創設前 ) | |||||||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
年度別成績
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
---|---|---|---|---|---|
1945 | 1 | 0 | 1 | 0.0000 | |
1946 | 15 | 5 | 10 | 0.3333 | |
1947 | 12 | 5 | 7 | 0.4164 | |
1948 | 5 | 1 | 1 | 0.2000 | |
1949 | 11 | 5 | 6 | 0.4545 | |
1950 | 19 | 10 | 9 | 0.5263 | |
1951 | 17 | 8 | 9 | 0.4706 | |
1952 | 22 | 12 | 10 | 0.5455 | |
1953 | 28 | 10 | 18 | 0.3571 | |
1954 | 23 | 9 | 13 | 0.4091 | |
1955 | 27 | 14 | 13 | 0.5182 | |
1956 | 22 | 12 | 10 | 0.5455 | |
1957 | 28 | 6 | 22 | 0.2143 | |
1958 | 21 | 3 | 18 | 0.1429 | |
1959年引退 |
脚注
注釈
出典
- ^ 平成10年版「将棋年鑑」
- ^ a b 『近代将棋 1958年7月号』近代将棋社/国立国会図書館デジタルコレクション、50–51頁。
- ^ 「(2ページ目)令和初日の衝撃!! 木村一基―菅井竜也戦はいきなり317手の超長手数だった | 観る将棋、読む将棋」『文春オンライン』2019年5月9日。
- ^ 「新聞に掲載された最長手数の対局を考える」『将棋棋士の食事とおやつ出張所』2019年8月20日。
- ^ “名人戦・順位戦”. 日本将棋連盟. 棋戦. 2023年12月2日閲覧。
- ^ “竜王戦”. 日本将棋連盟. 棋戦. 2023年12月2日閲覧。
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
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