空手キャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 18:09 UTC 版)
岡本は津山商業高等学校を卒業後、しばらく実家のスーパーを手伝いながら小さな空手道場を開いていたが、1963年国士舘大学に入学し、空手部を創設。部の不祥事により一度退学処分を受けるが、大学創立者である柴田徳次郎の計らいにより二部の学生として復帰する。1966年頃に大学を卒業し経済学の学士号を取得している。彼はJKAインストラクターコースに登録するよう要請された。他の主な指導者は中山正敏、西山英峻など。 1967年にインストラクターコースを卒業すると、岡本はJKA本部で教え始め、また 自衛隊、国士舘大学、東京経済大学で教鞭をとった。 岡本は空手を教えるために海外に派遣されたJKAインストラクターの最初の世代のひとりで、1970年1月、彼は日本政府に代わってシリアに派遣された。シリアにいる間、彼はシリア中央警察大学、シリア国防軍、シリアスポーツアンドユースハイカウンシルで教えた。 彼はシリアに5年間滞在した。 1975年、岡本は空手を教えるためにレバノンに転居した。 彼が考えていたクラスは男性、女性、そして子供たちに門戸が開かれてるもので 彼はレバノン空手や柔道連盟道場を含むパレスチナ空手連盟、ヨルダン治安部隊、そしてイラク軍など多くで空手を教えた。 岡本は1976年にアンワル・サダト大統領からエジプトに招待された。 エジプトにいる間、岡本は警察と軍隊を訓練した。彼は空手のけいこを彼らの訓練カリキュラムに取り入れた。 1980年、岡本はエジプトのカイロに引っ越し、故郷となった。彼はJKA中東、アラブ、アフリカ支部を設立した。 事務所の使命は、アフリカと中近東への空手の普及であった。 彼は65か国以上で教え、40か国以上で空手を紹介した。こうした指導のために多くの賞と称賛を与えられている。
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