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大学とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 学問 > 教育 > 学校 > 大学の意味・解説 

university

別表記:大学、ユニヴァーシティ

「university」とは、大学・総合大学大学の構成員である教職員学生などを意味する英単語

「university」の語源

universityの語源は、ラテン語universitasウニベルシタス)である。

「university」の省略形

universityの省略形は「Uni.」や「Univ.」のほかに、単純に「U」と表記する場合もある。一般的に日本では「Univ.」と表記されることが多く、「Uni.」は口語メールなど、軽い感じ用いられる

「university」の複数形

universityの複数形はuniversitiesである。

「university」の発音

universityの発音は、「ユニヴァーシティ」であり、u・ni・ver・si・tyに分けることができ、アクセントverにかかる。

「university」と「college」の違い

universityとcollege違いは、複数学部をもつ総合大学それ以外の大学かの違いである。universityが指している総合大学とは、大学内に複数学部研究科などを持ち、これらが合わさることによって、一つ大学として機能しているものであるまた、大学院課程存在するため、規模大きめの大学である。collegeとは、universityのように規模大きい、複数学部から成っている大学とは異なる大学のことを指しており、基本的に大学院課程存在せず、universityに比べて小さめの大学のことを指す。ただし、単科大学というわけではない。日本において、単科大学とは専門的な分野特化した大学のことを指すが、collegeそのような意味では用いられない

college短期大学を指す言葉で、universityが四年制大学を指す言葉であると言われることもあるが、これは誤りである。実際アメリカにおける二年制大学はほとんどがcollegeとなっており、universityと名乗っている大学はないが、四年制大学においては、universityもcollege両方存在するため、college短期大学四年制大学両方指していることが分かる。そのため、college短期大学でuniversityが四年制大学を指す言葉であるというのは誤りである。

universityとcollege比べたときに、collegeの方が劣っているというのも誤りである。名称と大学のレベル関係しておらず、collegeの名が付いていても、一般的にレベルが高いとされている大学は数多く存在している。college多くは、学問細分化させるのではなく様々な分野教養身に付けることができるという部分重きをおいてcollege名乗っている。

州によっては、universityとcollege違い定めたガイドライン存在する州もあるが、多くの州によって、違い厳密なものではないし、college名乗っていても、博士課程がある大学も存在する大学名付いているuniversityとcollegeという言葉からだけでは、どのような大学であるのか推測できないので、注意が必要である。

「university of the people」とは

「university of the people」とは、授業料無料オンライン大学のことである。2009年設立され全世界対象に、オンライン受講することができる大学である。授業料テキスト代は無料であるが、入学手数料試験料は有料となる。MicrosoftHPなどの有名企業や、イェール大学ニューヨーク大学などの大学から支援受けていることと、多くボランティア働きによって、このような価格高等教育を受けることができる。学部によって取得できる学位異なり学士修士準学士の他に、学位ではなく認定プログラムある証明プログラム取得するともできる2022年現在学部Business Administration経営管理)、Information Technology情報技術)、Education教育)、Computer Scienceコンピューターサイエンス)、Health Science健康科学)、English as a Second Language第二言語としての英語)がある。

「世界大学ランキング」とは


世界中存在する高等教育機関色々な面から評価し順位付けた大学のランキングのことである。新聞や雑誌政府企業など様々な機関毎年作成しており、それぞれ評価指標異なる。

Times Higher Education World University Rankings」は、イギリスの「タイムズ紙」の別冊である「Times Higher Education Supplement」による世界大学ランキングのことであり、2004年から発表している。数ある大学ランキング中でも信頼度が高いランキングとされており、世界大学ランキング2023には、100超える国や地域の約1800校が対象となっており、多様なランキングとなっている。評価項目外国人教員学生比率挙げており、国際性にも重きを置いた視点評価されている。

だい‐がく【大学】

読み方:だいがく

高等教育中核をなす教育機関学術中心として、広く知識授けとともに深く専門学芸教授研究することなどを目的とする。修業年限4年原則とするが、2年ないし3年短期大学もある。大学は、学部のほかに大学院研究所付属病院などを設置することができる。日本では明治以後設立明治19年(1886)の帝国大学令大正7年(1918)の大学令などにより規定され第二次大戦後は、学校教育法基づいて設置され今日至っている。

大学寮」の略。

俗に社会人対象にした教養講座のこと。「市民—」

大学の画像
大学を示す地図記号

だいがく【大学】

読み方:だいがく

中国戦国時代思想書1巻著者・成立未詳。もと「礼記(らいき)」の中の一編であったが、宋の司馬光抜き出して「大学広義1巻作り、のち、程顥(ていこう)・程頤(ていい)が定本を、1189年朱熹(しゅき)が「大学章句」を作って四書の一とした。治者倫理・道徳に関する三綱領八条目を立て儒教学問階梯(かいてい)を説いたもの。

[補説] 三綱領治者目標となる明明徳・止至善新民三つ八条目は三綱領実現するための修養で、格物・致知誠意正心修身・斉家・治国・平天下八つ


だいがく 【大学】

儒教経書一つ一巻。もと『礼記』の中の一編。大学の名は、その内容が心を正し身を修めることから、天下平らかにする大理想を説くので、訓を小学というのに対して名付けられた。宋代に朱子が『章句』(改補本)を作り四書一つとされて重視された。作者について朱子はこれを一経十伝に分け、経は孔子言葉曾子述べたもの、伝は曾子門人記録したものと考えたが、否定説がある。明徳新民・止至善三綱領と、格物・致知誠意正心修身・斉家・治国・平天下八条目を説く

大学

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

大学

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大学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/19 02:46 UTC 版)

ボローニャ大学における1350年代講義風景を描いた写本挿絵
日本学習院大学の正面玄関。
日本を代表する国立大学東京大学安田講堂

大学(だいがく、: collegeuniversity)は、学術研究および教育における高等教育機関

日本の現在の学校教育制度では、高等学校もしくは中等教育学校卒業者、通常の課程による12年の特別教育を修了した者、またはこれと同等以上の学力を有する者を対象に専門的な高等教育を行うものとされている。学生の教育課程と修了要件の充足に応じて学位短期大学士学士修士専門職学位博士)の学位授与を行う(なお、学位の名称・定義も国や地域によって異なる)。大学は通例「最も程度の高い学問を学ぶ学校」とされ、最高学府ともいう[1][注 1]

大学の誕生

ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク

高等教育機関の歴史

大学を単に高等教育機関と定義するならば、紀元前7世紀創設のタキシラ僧院が最古の大学となる。タキシラ僧院では、学位に相当するものが卒業生に与えられていた。世界遺産タキシラ遺跡がある現在のパキスタンイスラマバード北西にあったが、6世紀に街とともに破壊された。古代インドにはかつて学問の中心地として、タキシラナーランダ、ヴィクラマシーラ、カーンチプラムがあったとされる。

紀元前387年古代ギリシア哲学者プラトンが作ったアカデメイアアテーナイ)では、数学哲学等が教えられており、十字軍以降、イスラム世界を通じて中世ヨーロッパの大学成立に多大な影響を及ぼした。その他にもギリシアでは、ヒポクラテスの故郷コス島医学校、ロドス島に哲学の学校があり、アレクサンドリアには博物館ムーセイオン)と図書館アレクサンドリア図書館)があった。

中国では前漢代の紀元前124年に官吏養成学校である太学が設立された。『漢書』儒林伝に「は校と曰い、に庠と曰い、に序と曰う」とある。周代には辟雍と呼んだともいう。『礼記』王制篇には「天子命之教然後為學。小學在公宮南之左、大學在郊。天子曰辟雍、諸侯曰頖宮」とある。代以降は国子監が最高学府としての役割を担った。

5世紀設立のナーランダ僧院インドナーランダ県に所在し、仏教を中心とした学問研究で有名で、仏教だけでなく天文学などの知識も教授していた。学位に相当するものの授与のほかに、今の大学院に相当するコースもあり、西域ペルシアアラブ世界からも人々が学びに来ていた。地元の熱心な仏教徒らの寄進・布施によって運営費や学生らの食費などがまかなわれ、最盛期には学生の数はおよそ1万人、教師数1000人、蔵書数500万冊にも達しており(世界最大級)、建物群は仏教を大切にした歴代の王たちによって増築が重ねられ、キャンパスの広さはおよそ10km×5kmほどにも達し、中央には大きな塔もあった。12世紀頃のイスラム教徒による破壊まで続いた。

6世紀にはサーサーン朝ペルシャにグンデシャープール大学(ジュンディーシャープール)があった。

日本では、7世紀天智天皇の治世に官僚養成を目的とした「大学寮」が創設された。

カロリング朝では、シャルルマーニュアーヘン(現在のドイツノルトライン=ヴェストファーレン州の街)に scola palatina (宮廷学校)という名の学校を作った。アカデミー・ブレクスガタ大学 (Brexgata University Academy) もカロリング朝指導者により、798年、今のフランスノワイヨン近郊に設立された。学者、統治者、聖職者、シャルルマーニュ自身などが参加して、一般市民の教育について、統治者の子どもの(次世代の統治者としての)教育、統治、侵略者からの領地の防衛、浪費を防ぐ術など議論していた。これらの活動は大学 (universitas) の下準備となった。

ヨーロッパにおける中世最初の大学は、849年ビザンツ帝国アモリア王朝3代皇帝ミカエル3世摂政バルダス・マミコニアン (Bardas Mamikonian) によって建てられたコンスタンティノープル大学(あるいはマグナウラ宮殿の大学)で(次代のマケドニア朝ルネサンスの先駆)、9世紀にはサレルノ大学が作られた。

988年創設のアル=アズハル大学966年設立のモスクに由来)はエジプトカイロに所在し、イスラーム法学プラトンアリストテレスなど古代ギリシアの研究が行われ、大学院に相当するコースも行われていた。

大学 (universitas) の歴史

大学を近代西欧語の大学(: università: university: université: Universität)という意味で捉えるならば、その歴史は12世紀-13世紀に始まる。もともとはラテン語の "universitas" (ウニベルシタス)を起源とし、学生のギルド(組合)から始まる。世界最初の校則は、学生のギルドから教師達への規則(「学生ギルドに無断で授業を休まない」「学生ギルドに無断で都市からでない」など)として作られた。その後、教師のギルドも作られ、連合体を意味するようになる。ギルド=組合を意味する大学は、学生間で上下関係がなく、日本語の訳語としては「大学」ではなく「組合」とした方が原義に近い[注 2]。ウニヴェルシタスという語はもともと団体全般を指していたが、特に「教師と学生の団体」(Universitas societas magistrorum discipulorumque 大学ハ教師ト学生ノ組合ナリ)を指すようになった[2]

中世の大学の中でも最初期の代表的なものはイタリアのボローニャ大学とフランスのパリ大学である。ボローニャ大学は自由都市国家ボローニャで生まれた。11世紀末以来、『ローマ法大全』を研究したイルネリウスをはじめとして多くの法学者が私塾を開いていたボローニャは、法学校のある学都として有名になり、ここに各国から集まってきた学生たちが市民や市当局に対して自分たちの権利を守るために結束して作った組合が大学の起源である。この意味での大学は自然発生的に成立したものであるため、創立年を明確に示すことはできない[3]。一方、12世紀のパリにはノートルダム司教座聖堂付属学校や聖ジュヌヴィエーヴ修道院付属学校をはじめとして多くの学校があり、アベラールもパリでよく講義を行っていた。12世紀末までにこれらの教師たちが権力者の介入に対抗して結集したのがパリ大学の始まりである。私塾の連合体としてのパリ大学がいつ成立したかを明確にすることはできないが、1200年にフランス王の勅許を得、1231年の教皇勅書『諸学の父』によって自治団体として認められた。イングランドオックスフォード大学とフランスのモンペリエ大学もこのように自然発生した大学である[4][注 3]。こうした初期の大学では、何らかの事情により教師と学生が集団で他の都市に移住することがあり、それによってオックスフォード大学からケンブリッジ大学が、パリ大学からオルレアン大学が、ボローニャ大学からパドヴァ大学が生まれた。さらにローマ教皇によってトゥールーズ大学が、王権によってサラマンカ大学ナポリ大学が設立された。14世紀に入ると神聖ローマ帝国の領邦君主らによってプラハ大学ウィーン大学ハイデルベルク大学が相次いで創設された。

中世の西ヨーロッパにおいて、大学は、神学部キリスト教聖職者の養成)、法学部法律家の養成)、医学部医師の養成)の3つの上級学部と自由学芸学部との4学部からなり、専門職を養成することが大きな役割であった。12世紀から13世紀の間の社会の専門職化の増大に伴って、同様の要求が職業的聖職者に対しても増大した。12世紀以前には、ヨーロッパの知的生活は修道院に託されていた。修道院は、もっぱら典礼と祈りの研究に関わっており、少数の修道院が本当の知識人を誇ることができた。教会法秘蹟の研究についてのグレゴリウス改革の重点化に従って、司教は、教会法に基づいて聖職者を養成するための、さらに説教と神学的議論で使うための論理学や論争、より効果的に財務を管理するための会計学をふくむ教会運営のより世俗的側面においても聖職者を養成するための司教座聖堂学校を組織した。西方ラテン教会圏で中世末までに生まれた多くの大学は、カトリック教会の後援により、教皇や世俗君主の主導で設立された。これらの大学は、ボローニャ大学やパリ大学が「自生的大学」であるのに対して、「創られた大学」と呼ばれる。

学習は、教会のヒエラルキー内での昇進に不可欠になり、同じように教師は名声を集めた。しかしながら、需要はすぐに、本質的に一人の教師によって運営されていた司教座聖堂学校の容量を越えた。なお、そのうえ、司教座聖堂学校の学生とより小さい町の市民との間で緊張が高まり、司教座聖堂学校はパリやボローニャのような大都市へ移転した。

13世紀に、教会における最高位の職務の約半数が修士学位所持者によって占められ(大修道院長、大司教、枢機卿)、次に高位の職務の三分の一以上が修士によって占められていた。加えて、中世最盛期の何人かの偉大な神学者、トマス・アクィナスロバート・グロステストは、中世の大学の出身者であり、スコラ学はその産物といえる。中世の大学の発展は、ビザンツやユダヤの学者からのアリストテレスの広くいきわたった再導入や、アリストテレス主義の思想を支持してのプラトン主義や新プラトン主義の人気の衰えと符合する。

中世の大学は、キャンパスを持たなかった。授業は教会や家のように場所が使える所ならどこでも行われ、大学は物理的な場所ではなく、学生のギルドと教師のギルドが1つにまとまった組合団体として互いに結び付けられた諸個人の集まりだった。この呼称で知られる高等教育機関としての大学は、まさに中世ヨーロッパの産物であり、それ以外の世界各地にあったという古代の教育機関とは直接的な関係はない。

大学は一般に、教師に給料を支払う者に依存する2つのタイプに従って構成されていた。最初にできたタイプはボローニャにおけるもので、学生が教師を雇い給料を支払う。第二のタイプはパリにおけるもので、教師は教会から給料を支払われる。この構造的な違いは他の特徴を作り出した。ボローニャ大学においては学生が全てを運営した。事実しばしば教師は大変な重圧と不利益のもとに置かれた。パリでは教師が学校を運営した。したがって、パリではヨーロッパ中からの教師にとって第一の場所になった。パリでは、教会が給料を払っていたので、主題的な事柄は神学だった。ボローニャでは、生徒はより世俗的な研究を選び、主な主題は法学だった。

大学の研究は学士号のために6年かかり、修士号や博士号のためにはさらに12年に及んだ。最初の6年は、リベラル・アーツ(=自由七科)(算術、幾何、天文、楽理、文法、論理、修辞)を研究する学芸学部 (faculty of the arts) に学んだ。当時ポピュラーな教授法だったスコラ学との緊密な結びつきがあるために、最も重視されたのは論理学だった。

ひとたび学士 (Bachelor of Arts) を取得すると、学生は修士や博士となるべく三つの学部―法学部、医学部、神学部―から1つを選ぶ。神学は学問のうち最も名望のある領域で、かつ最も難しい領域だった。

課程は主題やテーマによってではなく書物に従って設けられる。例えば、ある課程はアリストテレスの書物あるいは聖書からの書物に基づいてあるかもしれない。課程は選択ではなく、課程の設置は固定され、全員が同じ課程をとらなければならなかった。しかし、どの教師が使用するかにしたがって臨時の選択があった。

学生は大学に14、5歳の時に入った。授業は、午前5時か6時の開始が普通であった。

学生は保護を与えられた。学生に特権を与えたのは、皇帝フリードリヒ・バルバロッサ勅令ハビタ英語版によってである。だれも学生に肉体的な危害を与えることを許されず、学生は教会裁判所において犯罪のために審問されるのみであり、従っていかなる身体刑からも免れていた。このことは学生に都市環境においてとがめなく世俗法を犯す自由を与えた。実際、多くの乱用がなされ、盗み、強姦、殺人は、聖職者でありながらもゆゆしい結果を直視しない学生の間では珍しくはなかった[5]。このことは世俗的権威とともに不安な緊張へと導いた。学生は時々都市を去り何年も戻らないことによって「ストライキ」した。これは、(学生によって始められた)暴動が多数の学生を死に至らしめた後、1229年のパリ大学でストライキにおいて起こった。学生はストライキしつづけ、二年間戻らなかった。学生は法律上も準聖職者として扱われ[6][注 4]、女性が大学に入学することは許可されなかった。12-13世紀には、大学から大学へ渡り歩いたり、ドロップアウトして浪々の身となった学生が方々で見られた[5]。かれらは教会の定職を得られない放蕩無頼の聖職者で、ゴリアールまたは遍歴学生 (clerici vaganti) と呼ばれる。

大学の研究のためのポピュラーな教科書は、ペトルス・ロンバルドゥスの『命題集』と言われる。神学生や修士はカリキュラムの一部としてこの教科書について広範な注釈を書くことを要求された。哲学と神学における中世思想の多くは、スコラ的な文献注釈に見出される。なぜならスコラ学は非常にポピュラーな教育法だったからである。

ヨーロッパにおける国際的な卓越性をもつどの大学も神聖ローマ帝国によって「ストゥディウム・ゲネラーレ」(Studium Generale)として登録された。この施設の構成員は、異なったストゥディウム・ゲネラーレにおける講義課程をしばしば与えるので、ヨーロッパ中にかれらの知識を広めるよう奨励された。

ハーバード大学

近代の大学

ダラム大学

米国では1636年ハーバード大学(最初はHarvard Collegeとして)が誕生する。

イギリスでは、英国国教会の主導の下、中世ギルド的な大学の伝統に従った貴族による教育が大学で行なわれており、研究は民間のアカデミーで進められ、発表されていた。

フランスでは、1806年に、ナポレオン・ボナパルトによって、かつての地方大学が専門学校へと引き下げられ、新設された帝国大学(L'Université impériale)が指導監督し、国家が国民の教育にあたるというモデルが採用され、研究はやはりアカデミーで進められるものであった。

特に重要なのは、言語学者プロイセン政治家としても有名だったヴィルヘルム・フォン・フンボルトがその骨格をつくったベルリン大学である。ベルリン大学は、国家からの「学問の自由」の標語の下に、研究者と学生が自主的な研究に基づき、真理と知識の獲得を目的として、法学神学医学といった伝統的な学問領域を軸として、哲学がこれら3つの学問のみならず、自然科学を含めたすべて学問の理論的な研究を指導するというモデルを採用した。ベルリン大学は、研究教育の一体化を図るとの革命的な発想の転換により各国の大学のモデルとなり、その産業形成を支えた[注 5]。19世紀に至ると、歴史学社会学教育学民俗学など新たな学問分野が生じ、数学物理学化学など既存の学問分野も急速な発展を遂げただけでなく、哲学から心理学哲学史が分離するなどして今日の大学の基本的な諸分野が、ほぼその骨格を現すことになった。

イギリス・アメリカでは大学院教育が重視されるようになる。ジョンズ・ホプキンス大学はその代表的な大学である。

20世紀になってからは、欧米以外の世界の各国でも多くの大学が誕生してくるようになる。

ヨーロッパでは、人文科学社会科学自然科学でも理論的な学問研究が、大学の主要学部とみなされた。また、経営学音楽美術工学などでの単科大学はやや差別的な位置づけをされていた[注 6]が、徐々に大学の構成学部として認知されるようになってきた。

21世紀に入ると、情報科学社会福祉都市開発などで従来にはなかったような新しいコンセプトの学部も、世界各国のそれぞれの国内事情に対応して誕生するようになってきた。

各国の大学教育

日本

世界

脚注

注釈

  1. ^ したがって、最高学府=東京大学とすることは誤用である。
  2. ^ 現在の法律概念でいうところの「社団」にあたる。社団という概念はもともとはローマ教皇の破門を契機とするアハトを回避するための概念であった。
  3. ^ ただしハスキンスは、オックスフォード大学は12世紀後半にパリ大学から枝分かれしたと述べている(『大学の起源』44頁)。
  4. ^ 今日のカトリック教会では助祭への叙階を以て聖職者となるが、当時は下級聖品に叙階された者も、広義には叙階を求めて剃髪した少年も聖職者の身分であった。大学の学生は下級聖品に叙階されたものであった (Richard Kiekhefer, Magic in the Middle Ages, Cambridge University Press, p. 153)。
  5. ^ アメリカ合衆国のPh.D.の制度がその典型である。
  6. ^ 例えば、ドイツでは単科大学を大学をいうUniversitätよりも格下、もしくは別種のものとしてHochschule(ホッホシューレ)として区別していた。高等教育#ドイツ

出典

  1. ^ 東大は「日本の最高学府」ではありません”. INSIGHT NOW! (2007年10月31日). 2021年11月3日閲覧。
  2. ^ C・H・ハスキンス 『大学の起源』 青木靖三・三浦常司訳、八坂書房、2009年、27-28頁。
  3. ^ 『大学で学ぶ西洋史 [古代・中世]』 ミネルヴァ書房、246頁。
  4. ^ 堀越宏一・甚野尚志編著 『15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史』 279頁。
  5. ^ a b ロベール・ドスール 『中世ヨーロッパ生活誌』 桐村泰次訳、論創社、2014年、324-325頁。
  6. ^ ロベール・ドスール 『中世ヨーロッパ生活誌』 桐村泰次訳、論創社、2014年、305頁。

参考文献

  • C.H.ハスキンズ 青木靖三 著/三浦常司 訳 『大学の起源』(2009年、八坂書房)
  • 吉見俊哉『大学とは何か』(岩波新書、2011年)

関連項目

大学の制度

大学スポーツ関連

個々の競技会についてはCategory:日本の大学スポーツも参照。

その他

外部リンク


大学(短期大学を除く)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 04:29 UTC 版)

専攻科」の記事における「大学(短期大学を除く)」の解説

大学専攻科 (University, advanced course) - ISCED-5Aレベル 大学の専攻科は、法第91条第2項に基づき下記いずれかに該当する者が対象となる。 大学の学部卒業した者。 文部科学大臣定めところにより、上記同等上の学力があると認められた者。具体的には、施行規則155条に基づく大学院入学資格者(「大学院#日本」を参照)のうち、第7号および第8号除いた者となる。 さまざまなものがあるが、大学院修士学位専門職学位を得るには2年足りるため、1年制の課程、それも教育専攻科が多い。教員免許状1種免許状を既に取得していることで、専修免許状取得できる課程それなりにみられるまた、特別支援教育教員免許取得目的とした特別支援教育特別専攻科(旧: 特殊教育特別専攻科)を置いている大学もある。特別支援教育特別専攻科では、幼稚園小学校中学校または高等学校いずれかの普通教免許専修1種又は2種)を取得しているものは、特別支援学校教諭1種免許取得できる1種コースと、特別支援学校1種免許取得しているものは、特別支援学校教諭専修免許取得できる専修コースの2コースある大学が多い。特別支援教育特別専攻科のある大学内では、略して「特専」と呼ばれている所が多い。2年制専攻科修了したであっても大学院はないた修士学位授与されず、大学院博士課程への入学資格得られない西南学院大学など、専攻科大学院修士課程同一分野両方設置しているところもある。

※この「大学(短期大学を除く)」の解説は、「専攻科」の解説の一部です。
「大学(短期大学を除く)」を含む「専攻科」の記事については、「専攻科」の概要を参照ください。

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大学

出典:『Wiktionary』 (2020/10/02 23:23 UTC 版)

名詞

だいがく

  1. 学問研究教授にあたる高等教育機関
  2. 古代日本律令制における官吏養成機関大学寮 (wp)の略。
  3. 中国における儒教経典のひとつ。著者・成立未詳

語源

ジュリオ・アレーニによる造語日本でも広く読まれた『職方外紀』巻2に以下の記述がある。

歐邏巴諸國皆尚文學國王廣設學校一國一郡有大學中學,一邑一鄉有小學

1872年学制では日本全国大学区中学区小学区設けそれぞれ大学校中学校小学校を置くことを定めている。

翻訳


「大学」の例文・使い方・用例・文例

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