第3曲 レチタティーヴォ「わがイエスよ、我を導きたまえ」(Mein Jesu, ziehe mich)
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「イエス十二弟子を召寄せて」の記事における「第3曲 レチタティーヴォ「わがイエスよ、我を導きたまえ」(Mein Jesu, ziehe mich)」の解説
バス・弦楽器・通奏低音 聖句ヨハネ12:32-33、マルコ9:2-6 弦楽器の和音に彩られた堂々たるレチタティーヴォ・アコンパニヤート。イエス・キリストの変容したときも小屋を、ゴルゴダの恥辱による十字架の福音を受け入れない肉体の死と、魂の従順を祈願したものである。血肉を糾弾し、その死を願うにつれて、曲調は厳しさを増していく。しかし肉から十字架への従順を確信した終結では、喜びつつエルサレムに向かうさまを晴れやかなメリスマと活発な伴奏からなるアリオーソへと転じる。 「我もし地より擧げられなば、凡ての人をわが許に引きよせん』かく言ひて、己が如何なる死にて死ぬるかを示し給へり。」(ヨハネ12:32-33) 「六日の後、イエスただペテロ、ヤコブ、ヨハネのみを率きつれ、人を避けて高き山に登りたまふ。かくて彼らの前にて其の状かはり、其の衣かがやきて甚だ白くなりぬ、世の晒布者を爲し得ぬほど白し。エリヤ、モーセともに彼らに現れて、イエスと語りゐたり。ペテロ差出でてイエスに言ふ『ラビ、我らの此處に居るは善し。われら三つの廬を造り、一つを汝のため、一つをモーセのため、一つをエリヤのためにせん』彼等いたく懼れたれば、ペテロ何と言ふべきかを知らざりしなり。」(マルコ9:2-6)
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