第3段
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 03:48 UTC 版)
「亜細亜諸国との和戦は我栄辱に関するなきの説」の記事における「第3段」の解説
ある征韓論者は「栄辱論」として征韓論を述べている。すなわち戦争は好ましいものではないが、既に両国の間で紛争が発生した以上、一国の「栄辱」の為に戦うべきで、金銭の為に大義名分をないがしろにしてはならない。その論はもっともだけれども、今の日本は「親の病気ともいえる欧米交際の困難」を抱えているので、戦争をしている場合ではない。今の朝鮮人が無礼を加えても穏便に済ますのがよく、国の「栄辱」とは無関係である。 征韓論者(せいかんろんじゃ)の云(いわ)く、征韓(せいかん)は固(もと)より好(この)む所(ところ)に非(あら)ざれども、既(すで)に双方(そうほう)の間(あいだ)に釁(きん)を開(ひら)く上(うえ)は、一国(いっこく)の栄辱(えいじょく)に於(おい)て捨置(すてお)く可(べか)らず、大義名分(たいぎめいぶん)は金(かね)のために誤(あやま)る可(べか)らずと。一応(いちおう)尤(もっとも)の言(げん)なれども、前(まえ)に言(い)える如(ごと)く、我(わが)日本(にほん)は親(おや)の病気(びょうき)にも等(ひと)しき欧米(おうべい)交際(こうさい)の困難(こんなん)なるものを抱(いだ)けり。今(いま)親(おや)の大病(たいびょう)にて家内(かない)を静謐(せいひつ)にせざる可(べか)らざるの時(とき)に当(あた)り、門外(もんがい)に折助(おりすけ)が乱妨(らんぼう)喧嘩(けんか)するとて、之(これ)に取合(とりあ)い、之(これ)と争闘(そうとう)して、家内(かない)の静謐(せいひつ)を妨(さまた)げ、親(おや)の病気(びょうき)に害(がい)を加(くわ)う可(べ)きや。人心(じんしん)ある子弟(してい)ならば理(り)も非(ひ)も問(と)わずして何事(なにごと)も後日(こうじつ)の事(こと)に附(ふ)し、其(その)折助(おりすけ)へは酒手(さかて)にても取(と)らせて追(お)い返(かえ)し、穏便(おんびん)に取扱(とりあつか)うこそ孝子(こうし)の処分(しょぶん)と言(い)う可(べ)けれ。今(いま)の朝鮮人(ちょうせんじん)の無礼(ぶれい)は折助(おりすけ)の乱妨(らんぼう)に異(こと)ならず。之(これ)を度外(どがい)に置(お)くも何(なん)ぞ国(くに)の栄辱(えいじょく)に関(かん)することあらんや。 — 福澤諭吉、『福澤諭吉全集』第20巻, p.149 さらに別の征韓論者は「大陸進出論」として征韓論を述べている。すなわち征韓論の目的は朝鮮を取ることではなく、朝鮮の紛争を契機として次に支那に手を伸ばし、支那の富を取って軍事費を償うことであると。この論ももっとものように見えるが、もし支那が孤立していれば成立するだろう。実際は、支那は「欧米諸国の田園」とも言える状態で、日本が支那に進出すれば欧米諸国は自国の利益の為に支那の味方をして介入してくるだろう。 支那帝国(しなていこく)は正(まさ)に是(こ)れ欧米諸国人(おうべいしょこくじん)の田園(でんえん)なり。豈(あに)他人(たにん)をして貴重(きちょう)なる田園(でんえん)を蹂躪(じゅうりん)せしむることあらんや。事(こと)こゝに至(いた)らば、欧米(おうべい)の人(ひと)は支那人(しなじん)を憐(あわれ)むに非(あら)ずして、自(みず)から貿易(ぼうえき)の利(り)を失(うしな)うを惜(おし)み、自(みず)から利(り)するの私心(ししん)を以(もっ)て支那(しな)を助(たすく)るや必然(ひつぜん)の勢(いきおい)なり。仮令(たと)い自(みず)から利(り)するの私心(ししん)なきものとするも、嫉妬(しっと)の念(ねん)を以(もっ)て必(かなら)ず他(ほか)の所業(しょぎょう)を妨(さまたぐ)ることある可(べ)し。 — 福澤諭吉、『福澤諭吉全集』第20巻, pp.149-150 さらに別の征韓論者は「権道論」として征韓論を述べている。すなわち征韓論が発生してから年月が経ち、その気炎が台湾出兵を引き起こし、その余炎が消滅せずに今日の事態に至ったのであるから、その鬱炎を洩らし滞水を通じるための「権道」として征韓論を主張するものである。この論者は征韓論が非であることを知り、日本の独立に害があることも承知した上で、勢いに迫られて止むを得ざる手段に出たものと言えるだろう。私はこの論にはまったく不同意である。征韓論と言っても天から降りたものでもなければ地から生じたものでもない。日本への愛国心から出た意見であり、ただ見方が浅く方向を誤ったために述べたものに過ぎない。その人の心の方向を改めれば、征韓論はたちどころに止むであろう。
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第3段
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直径2.8 mの液体燃料ロケットである。GSLV-MkIではロシア製のKVD-1、Mk IIではインド国産のCE-7.5エンジンを搭載している。いずれも液体酸素および液体水素(LOX/LH2)を用いる二段燃焼エンジンである。しかし、2010年4月のMk IIの初打ち上げは、CE-7.5の燃料ターボポンプ故障により失敗に終わった。後の2014年1月の打ち上げで初の成功を収めた。
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第3段
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3段目は、ブリーズ-K(露:Бриз-К、ラテン:Briz-K、英:Breeze-K)である。第1・2段とは別に開発されたもので、軌道変更機能や宇宙空間でのエンジン再点火能力を持ち、複数の衛星を異なる軌道に投入する事が出来る。5号機以降は改良型のブリーズKMを使用している。
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第3段
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第3段は固体推進薬が7トンから7.6トンまで充填可能な固体燃料ロケットで、推力は最大で340 kN。ロケットケースはケブラー繊維強化プラスチック製である。
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第3段
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 13:57 UTC 版)
左大将館の段 六の君に御菩薩池で逃げられた左大将橘元方は、事が露見するのを恐れ、家臣の早船主税に行方を捜索させていた。近隣で見つからなかったため、さらに遠国に出向こうとした主税に対して、岩倉治部は「心当たりがある」と留める。その心当たりとは自分の娘である築羽根の婿、すなわち芦屋道満のところであるという。築羽根が夫婦喧嘩の末、治部の元に戻ってきたため事情を聞くと、道満は自宅に荼枳尼天を祀る祠(勧請所)を作り、そこには家の者を近寄らせないという。ところがこの祠から女の泣く声が聞こえる。築羽根は道満が女を囲っていると思い込んで喧嘩となったのだが、六の君はここに匿くまわれている、というのが治部の考えだった。 この話を聞いた橘元方は、道満の妹が小野好古の執権左近太郎の元に嫁いでいる事実に思い当たるが、道満が即座に六の君を好古側に引き渡さず、なぜ自宅に匿っているのか不審に思う。この疑問を解消するべく築羽根を呼んで尋問することとなった。築羽根をうまく誘導することで真相を質そうとする橘元方に対して、築羽根はノロケ話から始まり、道満の不振な行動を語るうちに逆上して、近くにいた治部に掴みかかる始末。これでは埒が明かないと思った橘元方は、とりあえず築羽根を奥に戻して策を練る。治部は道満を捕縛して白状させることを提案するが、橘元方は、この場に呼びつけてある道満が屋敷を留守にする隙に捜索する方がよいと言う。そこへ道満が到着し、治部への挨拶も早々に橘元方との面会に臨む。治部は道満宅の捜索に向かうべく馬の用意をするが、治部と橘元方の密議を盗み聞いていた築羽根が止めに出る。これを振り払って治部は道満宅へと急いだ。 道満屋敷の段 主人夫婦が留守にしている道満の屋敷では女中たちが噂話に興じている。そこへ道満の妹であり、左近太郎の妻である花町が帰ってくる。聞けば左近太郎に離縁されたという。父である将監にその報告をしようとした矢先、岩倉治部がやってきて横柄な態度で将監に対し捜索を行う旨を告げた。落ち着いた態度で応対する将監だが、治部が理由も告げずに荼枳尼天を祀った祠の鍵を壊そうとしたため、これを押し留める。捜索は六の君を匿っている件だと告げる治部に対し、将監はそれを否定し、鍵をもつ道満の帰宅を待って欲しいと訴える。それを無視して鍵を壊した治部だが、将監は留守を預かる立場がないと立ち塞がる。そんな将監に対して治部は「主人の命で来ている自分に刃向かうのか」とすごまれ、しぶしぶ道を開ける。治部は祠から六の君を連れ出し将監の前に引き据えるが、それを見た花町が、父の脇差しを手にして「夫(左近太郎)の探していた姫君を返せ」と迫る。治部も刀の柄に手をかけて一触即発の状態となり、将監が間に入るが果たせず乱闘が始まる。そこへ橘元方の屋敷から帰宅した道満が現れ、治部を投げ飛ばす。道満が六の君隠匿の件は橘元方のところで解決済みであることを告げると、治部は逃げ帰った。 将監は道満の一連の行為を訝しむが、道満は心ならずも六の君誘拐に手を貸すことになったこと、六の君が殺されることは見過ごせないので、御菩薩池で非人に扮して石川悪右衛門の手から姫を助け出したことを打ち明ける。しかし、そのまま姫を小野好古の元へ返したのでは、自分の主人である橘元方の悪事を暴いてしまい、それは忠義に反するので自宅に匿っていたと告白した。これを聞いた将監と六の君は道満の忠節に感激し、六の君は「自分を生かしてくれたことは情け深い所業だが、それでは罪作りとなる。いっそ殺してほしい」とまで言う。とりあえず道満は姫に入浴を勧め、奥へ下がってもらう。 道満の告白を聞いていた花町は、自分が離縁された原因は道満の書いた神符にあったと知り、六の君を返せば元通りになると喜ぶ。しかし将監は「姫を返せるものなら返している。道満は主命ゆえに、六の君の命を奪うつもりだ」と花町に告げる。これを聞いた花町は言葉を失う。将監に質された道満は「確かに先刻橘元方から、姫の命を奪うことを下命された」と白状した。さらに六の君の首を橘元方に差し出したら切腹すると言う。しかし将監は「それは橘元方のためにならない」とし、主命に背かず、六の君を弑することもない方策があるという。ここで花町が、自分を殺して、その首を六の君のものと偽って橘元方に差し出せばよいと訴えるが、将監が、六の君と似ても似つかない花町の首ではすぐに見破られると却下する。将監は、自分が六の君を逃し、その際に道満に討ち取られたこととし、その隙に姫には逃げられたことにすればよい、と言う。しかし、道満も花町も自分たちの父親を犠牲にして事を収めることには到底納得できず、他によい案も浮かばないまま、夜は更けていく。 奥庭の段 花町が誰かを待つかのように佇んでいると、兄嫁である筑羽根が現れる。彼女の悋気が自分と兄、父の苦境の発端であり、花町は筑羽根を罵倒する。ところが筑羽根は自分の行いを悔いており、花町の手にかかって果てるなら本望と言う。これにほだされた花町は、共に六の君を逃そうと筑羽根に提案する。もとより花町は六の君を逃がす算段で、その手助けをしてくれる夫の左近太郎を待っていたのであった。この案に意気投合した二人の元に顔を頭巾で隠した男が到着する。花町はこの男を左近太郎と思い込み、三人で道満宅に忍び込み、六の君を連れ出すが、そこに鑓を手にした道満が立ち塞がる。道満も頭巾の男を左近太郎と信じ、「命は取らないから、六の君を置いて立ち去れ」と警告するが、男は姫を奥に押しやり、道満に斬りかかる。二人の戦いは続くが、道満の鑓が男に致命傷を与え、男は倒れ伏す。それを見た花町が夫の仇と切りつけてきたが、道満は彼女をねじ伏せようとする。しかし、倒れた男がそれを止め、頭巾を脱ぐと、男は左近太郎ではなく、道満・花町兄妹の父将監であった。将監は左近太郎のふりをして、自分が犠牲になることで、道満の体面を保ち、花町の復縁を可能にしたのだった。実の父を手に掛けてしまった道満は自害しようとするが、遅れて到着した本物の左近太郎に止められる。左近太郎は、命を賭して六の君を守った将監の行動に感謝し、彼の忠義に報いるため、あえて橘元方の罪を桜木親王へ告発することはしないと誓うのだった。これを聞き安堵した将監は、家族に看取られ息を引き取る。 そこへ岩倉治部が登場し、道満に対して「左大将に約束した六の君の首級はどうなった」と詰問する。これに逆上した筑羽根が鑓で治部を突き殺す。筑羽根は手にした鑓で自害しようとするが、道満に制止される。道満は、六の君の謀殺は治部の入れ知恵であり、遅かれ早かれ治部はこのような最期を遂げたであろうと諭す。さらに、自分も筑羽根もそれぞれの父を殺した不孝者なので、ともに仏門に入り菩提を弔おうと言う。亡き将監も満足であろうと、左近太郎もこれに賛成する。道満は、出家した暁には「どうまん」を名乗ると語る。道満は、治部を討ち取ったのは将監であると検死役に報告すれば、将監の目論見どおり、道満と筑羽根に咎めはないだろから、六の君は左近太郎が小野好古の元へ連れ帰ってくれと頼む。
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第3段
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 14:45 UTC 版)
これ以降は通常の合唱スタイルとなり、メロディー、ハーモニー、対旋律部分の扱いなど、総合的な扱いが課題となる。7小節目まではピアノが主旋律を受け持ち、それまでは"歌いながらピアノの旋律が聴こえる"ような強さ(mf)で歌うことが大切である。
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