荘孝帝姫
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荘孝帝姫(そうこうていき)は、北宋の仁宗の長女。周国陳国大長公主(しゅうこくちんこくだいちょうこうしゅ)とも。
- ^ 『続資治通鑑長編』仁宗体天法道極功全徳神文聖武睿哲明孝皇帝嘉祐七年(遼清寧八年):二月癸卯,詔兗国公主入内、安州観察使、駙馬都尉李瑋知衛州。瑋所生母楊氏帰其兄璋、公主乳母韓氏出居外、公主宅句当内臣梁懐吉帰前省、諸色祗應人皆散遣之。懐吉等既坐責、公主恚懟、欲自盡、或縦火欲焚第、以邀帝必召懐吉等還。帝不得已、亦為召之。諫官楊畋、司馬光、龔鼎臣等皆諫、帝弗聽。然公主意終悪瑋、不肯復入中閤、状若狂易、欲自盡数矣。苗賢妃與兪充儀謀、使内臣王務滋管句駙馬宅、以伺瑋過。瑋素謹、務滋不得其過、乃告苗、兪曰:「但得上旨,務滋請以巵酒了之。」苗、兪白帝。帝不答。頃之、帝與皇后同坐、兪又白之。皇后曰:「陛下念章懿太后、故瑋得尚主、今奈何欲為此?」都知任守忠在旁曰:「皇后之言是也。」務滋謀訖不行、尋有是命。
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