藤原 嘉文
1956年大阪生まれ。東京藝術大学作曲科卒、同大学院修了。
作曲を石桁真礼生、浦田健次郎、末吉保雄、黛敏郎の諸氏に、ピアノを下村和子、矢代秋雄、堀江孝子の諸氏に師事。
日本交響楽振興財団第4回作曲賞、Haydn Association Abruzzo Giubileo 2000 国際コンペティション、FMW 2001 in Melbourne等に入選。2001年及び2005年、声楽作品とピアノ作品による個展を開催。
現在、山梨大学教授、昭和音楽大学講師、日本現代音楽協会、日本作曲家協議会、日本音楽表現学会各会員、(財)ヤマハ音楽振興会評議員、(財)音楽文化創造評議員。
ホームページ:http://www.edu.yamanashi.ac.jp/~fujiwara
代表作品に、オーケストラの為の『メタモルフォシスII』、オルガンとオーケストラの為の『シンフォニア』、『巡りあう時空』ピアノとオーケストラのための、『VISION』ピアノのための(CD:JILA-1107、Score:JFC-9904)、『メタモルフォシスIII』電子オルガンのための(楽譜:全日本電子楽器教育研究会)、『メタモルフォシスIV』2台のピアノのための(CD:FPCD-4365、Score:JFC-0304)、『舞』3本のフルートのための(CD:JILA-1427、Score:JFC-0603)、『ドン・キホーテ』(バリトン又はテノールとピアノ)、『ピエロ』(バリトンとピアノ)(CD: JILA-1214?5、Score:JILA Vocal Series 4)、『夢・魔王』(テノール又はバリトンとピアノ)、『コムソーヤ(虚無僧翁)の冒険』(バリトンとピアノ)等がある。
藤原嘉文
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藤原 嘉文 | |
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生誕 | 1956年5月5日(67歳) |
出身地 |
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学歴 | 東京芸術大学 |
ジャンル | クラシック |
職業 | 作曲家・大学教授 |
藤原 嘉文(ふじわら よしぶみ、1956年5月5日 - )は大阪府大阪市出身の日本の作曲家[1]。
人物
1956年大阪府大阪市生まれ。1981年東京芸術大学作曲科卒業、1984年同大学院修了。
作曲を石桁真礼生、浦田健次郎、末吉保雄、丸田昭三、黛敏郎に、ピアノを下村和子、矢代秋雄、堀江孝子に師事。
日本交響楽振興財団第4回作曲賞、Haydn Association Abruzzo Giubileo 2000 国際コンペティション、FMW 2001 in Melbourne等に入選。
相愛大学非常勤講師を経て、山梨大学教育人間科学部教授[2]、昭和音楽大学非常勤講師を務める。
日本現代音楽協会、日本作曲家協議会、日本音楽表現学会各会員、(財)ヤマハ音楽振興会評議員、(財)音楽文化創造評議員。
主な作品
- 『巡りあう時空』〜ピアノとオーケストラのための
- 電子オルガンのための『メタモルフォシスIII』
- オーケストラの為の『メタモルフォシスIV』
- オルガンとオーケストラの為の『シンフォニア』
- 『VISION』〜ピアノのための
- 『メタモルフォシスIV』〜2台のピアノのための
- 『舞』〜3本のフルートのための
- 『謡歌(わざうた)』
- 『ドン・キホーテ』
- 『ピエロ』
- 『夢・魔王』
脚注
出典
- ^ Fontec CD『The Japanese composers 2004 』ライナーノーツ, 2004
- ^ 山梨大学 教育学部・大学院教育学研究科
「藤原 嘉文」の例文・使い方・用例・文例
- 藤原氏は、日本のトップマラソン選手の一人です。
- 私、株式会社藤原興産の営業推進部の岡田と申します。
- 藤原氏は今ご在宅でしょうか。
- 栄華を極めた藤原一門の長としての感慨がこの道長の歌に示されている.
- 藤原の流れを汲む
- 京家という,藤原氏の家
- 源,平,藤原,橘の四氏
- 藤原氏の長者が継承した家宝の盤
- 新古今集の時代に藤原定家が中心となって起こした和歌の新風
- 藤原時代という,歴史上の時代
- 藤原鎌足という人
- 平将門の乱と藤原純友の乱という,平安時代の反乱事件
- 藤原頼長が,1136年にこの弓を奉納したと言われている。
- 春日大社は藤原一族の氏神の神社である。
- 雨模様でも幸せな藤原さんと陣(じん)内(ない)さんの結婚式
- 有名女優の藤原紀(のり)香(か)さん(35)とタレントの陣(じん)内(ない)智(とも)則(のり)さん(33)が2月17日,兵庫県神戸市にある生(いく)田(た)神社で結婚した。
- 最初,藤原さんは女(にょ)官(かん)が伝統的に着用した着物である十(じゅう)二(に)単(ひとえ)を,陣内さんは公(く)家(げ)が着用した正装用の着物である束(そく)帯(たい)を着た。
- 式の後,藤原さんは白(しろ)無(む)垢(く)に,陣内さんは正装用の袴(はかま)に着替えた。
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