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重慶会談とは? わかりやすく解説

重慶会談

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 09:04 UTC 版)

国共内戦」の記事における「重慶会談」の解説

1945年8月日本降伏すると、中華民国対外的戦勝国かつ国際連合常任理事国となった。しかし、日本という共通の敵失ったことで国内では国民党共産党統一戦線維持する意義名目消滅し戦後構想違いから内戦再発の不安が中国国民及び諸外国の間で募るようになったその結果蔣介石国民政府呉鼎昌提案受け入れ毛沢東に対して重慶国内和平問題について討議すべく三度わたって会談呼びかけた。この呼びかけ応じた毛沢東周恩来、王若飛は8月28日アメリカパトリック・ハーレー大使と共に延安から重慶訪れ中国共産党代表として中国国民党の代表である王世杰張治中邵力子会談行った同年8月30日重慶において「蔣介石毛沢東巨頭会談(重慶会談)」が開かれる会議43日にも及んだが、10月10日に「双十協定」としてまとめられ内戦一時的に回避された。

※この「重慶会談」の解説は、「国共内戦」の解説の一部です。
「重慶会談」を含む「国共内戦」の記事については、「国共内戦」の概要を参照ください。

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Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの国共内戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

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