ヒルベルト空間
数学におけるヒルベルト空間(ヒルベルトくうかん、英: Hilbert space)は、ダフィット・ヒルベルトにその名を因む、ユークリッド空間の概念を一般化したものである。これにより、二次元のユークリッド平面や三次元のユークリッド空間における線型代数学や微分積分学の方法論を、任意の有限または無限次元の空間へ拡張して持ち込むことができる。ヒルベルト空間は、内積の構造を備えた抽象ベクトル空間(内積空間)になっており、そこでは角度や長さを測るということが可能である。ヒルベルト空間は、さらに完備距離空間の構造を備えている(極限が十分に存在することが保証されている)ので、その中で微分積分学がきちんと展開できる。
ヒルベルト空間は、典型的には無限次元の関数空間として、数学、物理学、工学などの各所に自然に現れる。そういった意味でのヒルベルト空間の研究は、20世紀冒頭10年の間にヒルベルト、シュミット、リースらによって始められた。ヒルベルト空間の概念は、偏微分方程式論、量子力学、フーリエ解析(信号処理や熱伝導などへの応用も含む)、熱力学の研究の数学的基礎を成すエルゴード理論などの理論において欠くべからざる道具になっている。これら種々の応用の多くの根底にある抽象概念を「ヒルベルト空間」と名付けたのは、フォン・ノイマンである。ヒルベルト空間を用いる方法の成功は、関数解析学の実りある時代のさきがけとなった。古典的なユークリッド空間はさておき、ヒルベルト空間の例としては、自乗可積分関数の空間 L2、自乗総和可能数列の空間 ヒルベルト空間が開発される以前にも、数学や物理学においてユークリッド空間を一般化する別な概念が知られていた。特に、19世紀の終わりに掛けていくつかの流れの中から抽象線型空間の概念が獲得される[6]。これは、その元同士の加法と(実数や複素数のような)スカラーによる乗法とを備えた空間のことを指すのであって、必ずしも物理的な系における運動量や位置といった「幾何学的な」ベクトルをその元が同一視される必要はないという性質のものである。20世紀に入ると、数学者たちは新たな対象を扱うようになり、特に数列の空間(級数論も含む)や関数の空間[7] は自然に線型空間と看做すことができる。実際に、関数の場合なら、関数同士の和や定数をスカラーとする乗法が定義できて、それらの演算は空間ベクトルの加法とスカラー倍が従うのと同じ代数法則に従う。
20世紀の最初の10年間で、ヒルベルト空間の導入に繋がる展開が同時並行的に現れた。その一つは、ヒルベルトとシュミットの積分方程式論の研究過程で見出された[8]。区間 [a, b] 上の2つの自乗可積分な実数値関数 f, g は「内積」
常微分方程式論において、微分方程式の固有関数および固有値の振る舞いを調べるのに適当なヒルベルト空間上のスペクトル法が利用できる。例えば、ヴァイオリンの弦やドラムの調波の研究から生じたスツルム・リウヴィル問題は、常微分方程式論の中心的な問題である[29]。スツルム・リウヴィル問題は区間 [a, b] 上の未知関数 y に対する常微分方程式
エルゴード理論の分野では、カオス力学系の長期的振る舞いを研究する。エルゴード理論が有効な原型的な場合というのは、熱力学における系である。この系の微視的な状態は(微粒子の間の個々の衝突の集まりとしては理解できないという意味で)極めて複雑であるにも拘らず、十分長期間にわたるその平均的振る舞いは素直であり、熱力学の法則が主張するのはこのような平均的挙動である。特に、熱力学の第0法則は「十分長い時間スケールを経れば平衡状態にある熱力学系の、その機能的に独立な測度は、温度の形でのその全エネルギーのみである」などと定式化できる。
エルゴート力学系は、(ハミルトニアンで測られる)エネルギーを除けば、相空間上の機能的に独立な保存量を持たないような系である。詳しく述べれば、エネルギー E を固定して、ΩE をエネルギーが E となる状態すべてからなる相空間の部分集合(エネルギー面)とし、Tt で相空間上の発展演算子を表せば、力学系がエルゴードとなるのは、ΩE 上の定数でない連続関数で、ΩE の任意の w と任意の時間 t において
フーリエ解析の基本目的の一つは、関数を付随するフーリエ級数、即ち与えられた基底関数族の(必ずしも有限とは限らない)線型結合に分解することである。区間 [0, 1] 上の関数 f に付随する古典フーリエ級数とは
ディラック[41]とフォンノイマン[42]によって発展した量子力学の数学的に厳密な定式化は、量子力学系の取りうる状態(より正確には純粋状態)が、状態空間と呼ばれる可分な複素ヒルベルト空間に属する単位ベクトル(状態ベクトルという)によって(位相因子と呼ばれるノルム 1 の複素数の違いを除いて)表現される。つまり、取りうる状態はあるヒルベルト空間の射影化(ふつうは複素射影空間と呼ばれる)の元である。このヒルベルト空間が実際にどのようなものになるかは系に依存する。例えば、一つの非相対論的スピン 0 粒子の位置と運動量の状態は自乗可積分関数全体の成す空間であり、いっぽう一つの陽子のスピンの状態はスピノルの成す二次元複素ヒルベルト空間の長さ 1 の元である。各可観測量は状態空間上に作用する自己随伴線型作用素として表現され、可観測量の固有状態はその作用素の固有ベクトルに、固有ベクトルに対応する固有値は固有状態にある可観測量の値にそれぞれ対応する。
量子状態の時間発展はシュレーディンガー方程式によって記述され、そこに現れるハミルトニアン(全エネルギーに対応する作用素)は時間発展を生み出す。
二つの状態ベクトルの間の内積は確率振幅として知られる複素数になる。量子力学系の理想的な測定の間で、系が与えられた初期状態から特定の固有状態に崩壊する確率は、初期状態から終期状態の間の確率振幅の絶対値の平方によって与えられる。測定の結果として可能なのは、作用素の固有値であり(これは自己随伴作用素のとり方を説明する)、全ての固有値は実数でなければならない。与えられた状態の可観測量の確率分布は対応する作用素のスペクトル分解を計算すれば求められる。
一般の系では、状態は典型的には純粋ではないが、密度行列(ヒルベルト空間上のトレース 1 の自己随伴作用素)で与えられる純粋状態の統計的混合(あるいは混合状態)として表される。さらに、一般の量子力学系では、単独の測定の効果は系のほかの部分に影響を及ぼしうるが、それは測度が正の作用素値測度で取り替えたものとして記述される。従って、一般論として状態と可観測量の両方の構造は、純粋状態の理想化したものより相当に複雑である。
ハイゼンベルクの不確定性原理は、ある種の可観測量に対応する作用素が互いに可換でなく、特定の形の交換子を与えるという主張として表される。
ヒルベルト空間 H の二つのベクトル u, v が直交するのは、⟨u, v⟩ = 0 のときである。このとき u ⊥ v と書く。更に一般に、H の部分集合 S に対して u ⊥ S と書けば、これは u が S の各元と直交することを意味する。
u と v とが直交するとき、等式
性質
三平方の定理
- Hilbert spaceのページへのリンク