マーダヴ・ラーオ・ナーラーヤン
(Madhavrao II から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/29 15:04 UTC 版)
マーダヴ・ラーオ・ナーラーヤン Madhav Rao Narayan |
|
---|---|
マラーター王国宰相 | |
![]() マーダヴ・ラーオ・ナーラーヤン
|
|
在位 | 1774年5月28日 - 1795年10月27日 |
戴冠 | 1774年5月28日 |
別号 | ペーシュワー |
出生 | 1774年4月18日 プネー |
死去 | 1795年10月27日 プネー、シャニワール・ワーダー |
王朝 | ペーシュワー朝 |
父親 | ナーラーヤン・ラーオ |
母親 | ガンガー・バーイー |
宗教 | ヒンドゥー教 |
マーダヴ・ラーオ・ナーラーヤン(マラーティー語:सवाई माधवराव पेशवे, 英語:Madhav Rao Narayan, 1774年4月18日 - 1795年10月27日)は、インドのデカン地方、マラーター王国の世襲における第7代宰相(ペーシュワー、1774年 - 1795年)。マラーター同盟の盟主でもある。マーダヴ・ラーオ2世(Madhav Rao II)、サワーイー ・マーダヴ・ラーオ(Sawai Madhav Rao)とも呼ばれる。
生涯

1774年4月18日、マーダヴ・ラーオ・ナーラーヤンは、1773年8月の父ナーラーヤン・ラーオの死後に生まれた[1]。父は叔父の宰相ラグナート・ラーオに暗殺されていた。
これにより、同年5月28日にマーダヴ・ラーオは財務大臣ナーナー・ファドナヴィースによりマラーター王国の宰相に任命され、ラグナート・ラーオは廃位された[2]。
だが、ラグナート・ラーオはイギリスに援助を求め、1775年3月6日にスーラト条約を結び、第一次マラーター戦争を引き起こした。この戦争は7年にわたり続き、1782年5月17日のサールバイ条約による講和で終結した[3]。
マラーター王国の全権を握っていたのは、宰相マーダヴ・ラーオではなく、強力な財務大臣ナーナー・ファドナヴィースだった。一応、同盟のマラーター諸侯は独自に行動しながらもプネーの宰相府の彼を中心に緩やかな連携を保っていた。
北インドに勢力を張っていたシンディア家の当主マハーダージー・シンディアは自国の近代化を進め、1784年12月にはムガル帝国の摂政と軍総司令官となっていた。
そして、1790年9月9日にムガル帝国の皇帝シャー・アーラム2世に自分を北インドにおける王国宰相の代理であることに認めさせ、宰相マーダヴ・ラーオ・ナーラーヤンを皇帝代理人に任じさせた。彼とナーナー・ファドナヴィースは同盟の権威を最高潮にまで高めた人物であった[4]。
だが、ナーナー・ファドナヴィースとマハーダージーとの関係は相当悪かったことが知られている。マハーダージーは宰相府における権力闘争では、ナーナー・ファドナヴィースに敵対する派閥に肩入れしていた[5]。
とはいえ、マラーター諸侯はマーダヴ・ラーオ・ナーラーヤンを擁するナーナー・ファドナヴィースを同盟の事実上の盟主と見なし、緩やかな連携を組んでいた[6]。
1795年10月25日、マーダヴ・ラーオ・ナーラーヤンは突如として、宰相府プネーの宮殿シャニワール・ワーダーから飛び降り自殺を図り、2日後の27日に死亡した[7][8]。自殺の理由はよくわかっていないが、ナーナー・ファドナヴィースの専横に耐え切れなくなったのだとされている[9]。
マーダヴ・ラーオ・ナーラーヤンには後継者がおらず、マラーター同盟では諸侯によって宰相位をめぐる争いが起こり、1796年12月4日にラグナート・ラーオの息子バージー・ラーオ2世が宰相となった[10]。
脚注
参考文献
- 辛島昇編 『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』 山川出版社、2007年
- 小谷汪之編 『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』 山川出版社、2007年
- ビパン・チャンドラ著、栗原利江訳 『近代インドの歴史』 山川出版社、2001年
関連項目
|
「Madhavrao II」の例文・使い方・用例・文例
- フェーズIとフェーズIIで許容副作用を伴い効果的であることが示される治療あるいは薬品の大規模な臨床試験
- 1228年から1229年までの十字軍は、病気になった神聖ローマ帝国皇帝フレディリックIIで導いて、法王によって破門されました
- 330,000人の連合軍隊が敵火の下で絶望的な退却において、北フランスの浜辺から避難しなければならなかった世界大戦IIの陸海空共同の避難(1940年)
- 腎臓にアンジオテンシンIIができるのを阻止し、動脈を弛緩してくれる抗高血圧薬
- アンジオテンシンIIへのさきがけであるアンジオテンシンの生理学的に不活発な形態
- 高血圧を治療するのに用いられるアンギオテンシンII抑制剤
- ASCII文字セットは最も一般的に用いられている文字セットである
- 王を補足したと考えられるI歴代志とII歴代志の旧約聖書の旧名
- ウルガタ聖書(IIエスドラス書を除いて)に含まれるが、ユダヤやプロテスタント版の聖書では省略される旧約聖書の14冊
- I歴代志、II歴代志、エズラ、およびネヘマイアからの編集から成る外典
- フレディリック神聖ローマ帝国皇帝IIを破門して、聖地に対して新しい十字軍を計画していた1245年の西方教会の協議会
- キャサリンIIの愛人であり、1762年に彼女が権力を握る支援を行ったロシアの役員で政治家
- 遺伝的に第VIII因子が欠乏するために生じる血友病
- アンギオテンシンIをアンギオテンシンIIに変えるタンパク質分解酵素
- 血液凝固において、トロンビンは第XIII因子をフィブリンが分解しにくい凝血塊の形成を引き起こす(フィブリナーゼ)活性型に触媒する
- パーシングIIというミサイル
- SALTII条約という2国間軍縮条約
- SALTII条約という2国間軍縮条約の内容
- 宇宙開発事業団と航空宇宙技術研究所は,2004年にH-IIAロケットでHOPE-Xを打ち上げる計画をしていた。
- 72歳の映画監督と彼の息子は,9月25日,新作映画「バトル・ロワイアルII」の製作を発表するため,記者会見を行った。
- Madhavrao IIのページへのリンク