東京・銀座5丁目の数寄屋橋交差点。新たなランドマークとなるのが、2025年1月開業予定の「Ginza Sony Park」だ。周辺施設と異なるのは、テナントなどは入らないこと。「Park」の名が示す通りの公園だ。自らプロジェクトリーダーを務める、ソニー企業代表取締役社長兼チーフ・ブランディング・オフィサーの永野大輔氏の案内で、オープン前の同施設を取材。細部にわたる狙いをひもとく。
- 銀座一等地の施設に常設テナントなし
- ソニービルの花びら構造を踏襲
- なぜ銀座にこんな建物を?
- 「公園らしさ」を体現する屋上スペース
- 閉じていながら開放感のある3、4階
- 「街に開かれた施設」にする工夫
- 未来を見据えた地下構造
- 外壁の金属フレームにも計算が
銀座一等地の施設に常設テナントなし
「Ginza Sony Park」が2024年8月15日に竣工した。東京・銀座の一等地にありながら常設のテナントはなし。まるで何も描かれていないキャンバスのような存在と言ってもいいかもしれない。
1966年の開業以来、長きにわたり銀座のランドマークとして親しまれてきた東京都中央区銀座のソニービル。その解体が始まったのは2017年のことだ。
同年8月には、解体工事を一時中断してGinza Sony Parkを開園。建物をなくし、フラットにした地上部分は文字通り“公園”として開放し、地下部分はイベントスペースとして活用した。21年9月の閉園までに開催した企画展などのイベントは、大きなもので15回、小さなものも合わせると300回以上に上った。
閉園後は、地上部分だけでなく地下部分もほぼすべてを取り壊し、新たなGinza Sony Parkの建築工事を始める。並行して、22年3月、地下にある西銀座駐車場の一角に約10坪の「Sony Park Mini」をオープン。ここでも通算50回を超えるイベントを開催してきた。
17年の取り壊しからここに至るまでの一連の取り組みは、ソニーが「Ginza Sony Park Project(銀座ソニーパークプロジェクト)」として計画、推進してきたもの。
同プロジェクトでは18年から21年9月のGinza Sony Park閉園までを第1段階、新たなGinza Sony Parkの建て替え工事開始以降を第2段階と定義。新型コロナウイルス禍にあった第1段階終了後には銀座の外に飛び出し、「Sony Park展 KYOTO」(22年11月、京都市)、「MANGA in New York」(23年10月末~11月初旬、米ニューヨーク)も開催。いずれも成功を収めている。
▼関連記事 「変われないソニーの象徴」を建て替え 事業多角化とのズレを解消 なぜ京都で「Sony Park展」? ソニーの過去と未来を同時に体感 銀座を飛び出すソニーパーク 社長に聞いた「なぜNYで漫画展?」こうしてプロジェクトを熟成させながら、ついに竣工にこぎ着けたのが、25年1月に開業予定の新たなGinza Sony Parkだ。
建物は、地上5階、地下4階。数寄屋橋交差点周辺の建物としては、さほど高くはない。
銀座エリアでは、建築物56m+工作物10mまでの建築が認められているが、Ginza Sony Parkは高さ33.86mにあえて抑えた。5階の屋上部分に出ると、周囲の建物の半分ほどの高さしかないことがよく分かる。
さらにユニークなのが、冒頭にも書いたとおり、常設テナントが一切入っていないこと。数寄屋橋交差点の角地にあって三方が道路に接し、東京メトロのコンコース、銀座最大級の「西銀座駐車場」と地下で直結する恵まれた立地にもかかわらず、常設店舗が一つも入っていないのだ。
ほぼすべてがレンタル可能な空間。言ってみれば、がらんどうの建物なのである。
ソニービルの花びら構造を踏襲
オープン前の建物に足を踏み入れると、そのユニークネスは構造自体にも発揮されていることを認識する。
かつてこの地にあったソニービルの地上階は、四辺形のフロアが少しずつ高さを変えながら螺旋(らせん)状に結ばれた「花びら構造」を採用し、フロアを連続的につなぐ「縦のプロムナード」を構築していた。1階は数寄屋橋交差点に面し、地下2階は東京メトロのコンコース、地下3階は西銀座駐車場と直結。これを「ジャンクション建築」と呼んでいる。
Ginza Sony Parkでもこのコンセプトを踏襲。地下から地上、そして5階までを螺旋階段でつないでいるのだ。しかも、1~2階は吹き抜けになっていて、螺旋状に階段と回廊が3階へと続く。この間に「フロア」と呼べるような部分がほとんど存在しない。
日本で最も地価の高いエリアにありながら、なんとも贅沢(ぜいたく)な空間の使い方。ある意味、「“効率”を度外視した設計」と表現してもいいだろう。
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