読書感想文『がんばることをやめられない』
こんにちは。結月もみじです。
今回からいよいよ本格的に「自分と向き合う」ことをしていきます。
本当は専門家のカウンセリングを受けるべきなんだろうなと思いつつ、
- 初対面の人間を信用して自分のことをベラベラ喋るのは無理
- 1時間話したくらいで「私」を理解してもらえるとは思えない
- カウンセリングは保険適用外ですごく高いなと感じた
といった理由で、市販の書籍を使いながら自己と対話していくことにしました。自分のことを一番分かっているのは自分のはずなので、できるはず。
ということで、以下本題に入っていきます。「闇」と「病み」が全面に出てくる長文なので、余裕のある時に見ることをおすすめします。
使用書籍と現状整理
今回読んだのはこちら。
昨年12月くらいからこれまで、正直かなり無理をしてきた部分があって。
趣味の吹奏楽団を1つ辞めるなどして自分のキャパを広げたはずなのに、やりたいことに割く余裕が全くなくて。むしろやることが日に日に増えていて。先週くらいに「あっ、そろそろ無理かも」と気づいたときには暗い部屋で一人泣いていて。
周りに期待されてがんばって走り続けるんだけど、いつかは限界が来てしまって、走るのをやめたときには無力感や希死感に覆われて、その居場所を捨てる。これを私は今まで何度も繰り返してきました。ただ今回は「ここを離れたくない」という思いも強く残っていたので、それならアクションを起こしてみようじゃないか、と思い立った時に本屋で見かけたのがこちらの本です。
「プロローグ」と「はじめに」の部分が著者のnoteで読めます。
こうやって、「だれかのために」走り続けることで、私の人生は終わっていくのだろうか。
プロローグの一文です。これを見て私は購入を即決しました。私も、もしかしたらまだ間に合うのかもしれない。そんな希望を感じ取ることができました。
書籍のテーマ
「自己受容」を「解離」という切り口から説明しています。
解離とは、大きなショックを受けたときに「パーツ」にショックを押し付けることでメインの人格を守ること。「身代わり人形」や「トラウマにフタをする」ようなイメージだと思っています。
そしてそのパーツは、私の一部分として心の中にあり続け、普段は表に出てこないけれど私の思考に影響を与え、また余裕がなくなってくると解離が維持できなくなってトラウマが漏れ出してしまう。そんなイメージでしょうか。
書籍を用いた現状の分析
本書の内容に照らしてみると、私が「がんばることをやめられない」理由として、大きく2つのパーツが関与しているように思いました。
- 幼少期に父親に全否定されて傷ついた私は、その痛みを「パーツ①」に押し付けた。
- パーツ①は、私が父親に全否定されたのを「全部私のせい」にしてしまうことで、苛酷な環境下であっても「私が頑張れば事態は好転するんだ」という、かすかな希望を生み出し、なんとか生き延びようとする。
- 「二度とあんな目に遭いたくないだろう?だからがんばれ」と、パーツ①は私を鼓舞し続ける。
- 一方、幼少期の苛酷な環境下では、父親の機嫌を常にうかがい、要求にひたすら応え続ける中で、服従・迎合する「パーツ②」ができていた。
- 「私に価値はない。要求に応えられなくなったら捨てられるだけだぞ」と、パーツ②も私を鼓舞し続ける。
- 苛酷な環境を脱することができた今でも、これら2つのパーツは心に残っていて、私を鼓舞し続ける。
- がんばり続けるうちに自分のキャパシティに余裕がなくなり、解離を維持できなくなった結果、パーツに押し付けていた過去のトラウマが溢れ出し、病みと闇に飲まれる。
原因の追究
幼少期(中学生くらいまで)の家庭環境(=父親)に問題があった、ということがやはり原因のようです。
毎日のように怒鳴られ、殴られ、蹴られ、地面を引きずられ、家から追い出され。
でも一番怖かったのは、何をきっかけにしていつ爆発するのかが分からなかったこと。
だからこそ、常に気を張り続け、余計なことを言わないように細心の注意を払いながら、正しい選択肢を選び続ける。これが本当にしんどかった。それでも爆発されて、結局殴られるから、何が正解か分からない。どうしていいか分からない。
いざ文章で整理してみると、本当によく頑張って生き延びたなと思います。そりゃ教室から飛び降りたくもなるよ。よくがんばった。
ただ、「この生きづらさ、父親のせいかな?」と思うことはこれまでもあったのですが、以下の理由でそれを自己否定してきました。
①私の置かれた境遇は、大したことのないことだ。
テレビでは「虐待され、衰弱死した子ども」「戦場で命を落とす子ども」「食べるものにすら困る子ども」が取り上げられていて、それを目にした上で自分が「しんどい」ということは許されない気がして、「彼らに比べれば私は十分幸せじゃないか」と思い込もうとしていました。
②他人のせいにしてはいけない。
父親に「他人のせいにするな、お前が悪い」と言われて育ってきたので、自責思考がかなり強くなっていて、「生きにくいのはお前が出来損ないだからだ」と自分に言い続けていました。
私と「わたし」
「私」でない「わたし(=パーツ)」の存在はなんとなく自認していたものの、私の人生を振り回す「わたし」のことが、私は大嫌いでした。
でも、「わたし」は敵ではなくて、私がなんとか人格を保って生き延びるための生存戦略の結果として生まれたものであり、私を守ってきてくれた存在なんだと思うと、いとおしく思うと同時に、本当に申し訳なくなって。
おそらく私は、これまでの「わたし」に、かつての「私」を重ね合わせたんだと思います。
これだけ一生懸命頑張ってるのに、存在を全否定されて。
私がされてきたことと同じことを、私は「わたし」にしていました。
「わたし」へ。
私も、「わたし」も、これまでずっと、本当に頑張ってきたね。
おつかれさま。そして、ありがとう。
「わたし」のこと、勘違いしてて、本当にごめんなさい。
ここはもう安全だから、これからはのんびりやっていこう。
改めて、これからも、よろしくお願いします。
これからのこと。
この本を読むことを通じて、私はようやく、生きづらさの原因を幼少期の家庭環境(父親)に求めることができました。私にとっては、とても大きな一歩を踏み出せたと思っています。
この本では単語としては出てこなかったものの、「アダルト・チルドレン」というワードがしっくりきています。これまでフタをしてきた幼少期の記憶と向き合って、過去の自分を受容してあげることが、次のステップなのだと思います。
今回「わたし」と和解するだけでも、過去のトラウマと向き合ってしんどかったので、ここからももっとしんどいのだと思いますが、今やるべき課題だと思うので、がんばります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。