2月1日(土)、
心の中に空虚がある。僕はそれを忘れられない。心の影を捨てられないから病気になるのだとしたら、それなら暗いまま、悲しくて寂しいまま死んでもいいと思う。
それでも精一杯元気には生きようと思う。わざわざ自分を損ないたくはない。腕を切ったり、少しODをしてしまっても、別にもう深刻にはならない。それはズドンと落ち込んだときの発作みたいなもので、コントロールしようがないから。それで、自分が許せないなら許せないで、それもまた仕方のないこと。
でも、病気であることをアイデンティティにだけはしたくない。「僕は暗い人間だ」と敢えて思うこともやめたい。
自己嫌悪は、控えめにしようと思う。それから、お酒は確実に逃げ道になるけれど、逃げた先は確実に、地獄と言ってもいい場所なので、飲酒は控えるつもりだ。アルコール中毒になっても、酔拳の達人みたいに、一生調子がいい人もいると思う。
でも、僕にはアルコール中毒の才能が無くて、飲み続けていると、世界全体が恐怖の館みたいに思えてきて、現実感を無くし、幻覚を見て、飲んだときだけ二、三時間平気、という相当生きにくい状態になってしまう、……残念なことに、僕はお酒と親密な仲になることは出来ない。
何年か前、ウォッカにポカリの粉やコーラを混ぜて、一日中ちびちび飲んだりしてて、お酒と一緒に眠剤を飲まないと楽になれない時期があった。本当にやばくなったら死ぬつもりだった。でも、飲まないと恐ろしい幻覚が止まらなくなってからは、少なくともウォッカだけは飲むのをやめた。
床に嘔吐した跡を一年間放置していて、その一年間の記憶が無かったし、歯を何本も失って、もう無事な歯は一本も無いし、脳の中を虫に食べられる幻覚を見て、手で頭を触ると穴が空いていて、指先を虫に刺されて実際に痛みを感じたりした。死ねることさえ信じられなくなって、アルコールだけはもう本当に、さすがに嫌になった。
感情と言えば恐怖と不安しか無かった時期が十年間はあったと思う。もっと長かったかも。今も完全に抜け出せたとは言えない。でも、最近やっと、言葉を美しいと感じるようになってきたし、音楽も再び好きになってきた。昔は言葉が美しいのは当然だったし、詩が分からないという人を理解できなかった。そして音楽ほど楽しい世界は無いと信じていたので、音楽を聴かない人がいるのが不思議だった。
今は、言葉や音楽に触れると自動的に気持ち良くなる自分が不思議だ。すごく遠い気分になる。遠い感傷や、自分が自分でしかないという寂しさに心地よさを感じる。
いつ、この美しい時間を失うのか常に不安だ。地獄から這い出すには何年も掛かるのに、地獄に落ちるのは一日あれば十分だ。気付くと世界が暗転している。全てが美しくて楽しい世界なら、百万年だって生きていたい。とろりとした気持ちいい時間。お酒や薬に頼らなくても、何も怖くない時間。ひとり楽しく完璧さに完結していられる時間。絶望には一日だって耐えられない。
2月2日(日)、
変拍子が好き。ギターの変則チューニングが好き。分裂的で立体的な言葉が好き。
言葉を書き続けていると、ときどき不思議な感覚に囚われる。言葉が僕を通して言葉自身を表現しているような気がする。言葉は伝達の手段に過ぎないという見方もあるけれど、言葉には言葉自身の命や意思や、流れがある。言葉は決して、僕が自分で自由にコントロール出来る、便利な道具ではない。僕が言葉を操るのか、僕が言葉に操られているのか分からなくなる。
そして僕は、僕が書いたはずの言葉たちに逆に侵食されていく。とても単純な例を挙げるなら、何気なく「僕は悪い人間だ。とても罪深い」と書いてしまうと、その通り僕は悪くて罪深い人間に思えてくる。書いてみるまで、何が出てくるか分からない。
誰もきっと、脳の言語野なんかで書いてないと思う。だから、脳にチップか何かを埋め込めば、考えるだけで書けるのに、なんて全然思わない。僕は寧ろ、手や指先で書いている。僕の指先がキーを打つのを、僕は遠くから見ている。そして白紙の画面に電子の活字が刻まれていくのを、興味深く眺めている。いつも音楽を聴きながら書いていて、音楽と言葉がシンクロしているみたいに感じられる時間が一番気持ちいい。
ヴィトゲンシュタインが、どちらかと言うと気楽な文脈の中で、作曲家にはおそらく三種類いるのだろう、と書いていた。全部頭の中で作曲する人と、楽器を弾きながら作曲する人と、楽譜にペンで書きながら作曲する人と。そして彼自身はペンで思考している、と書いていた。ペン先が何を書くのか、頭は知らないのだと。
そして彼は、いつか突然、自分の中から何ひとつ出て来なくなるのではないかと、いつもとても恐れていたらしい。僕にはその恐怖が分かると思う。ある日急に、ペンが全く動かなくなり、それを自分ではどうすることも出来ない。すらすら書いていると、そんな事態がいつか起こるなんて、夢にも思わないのだけど。
2月3日(月)、
僕はきっと特定の好きな人がいなければ、人間全般を好きになることなんて出来ないだろう。僕は人からの愛情と、人への愛情が無ければ生きられないだろう。
昼間からビールを飲んでいる。ヱビスの黒ビール。それで、一本飲めばやっぱり気持ちよくて、ドラッグでもやってるみたいだ。音楽と活字が気持ちいい。
2月5日(水)、
父も母も、僕と会話しながら、僕ではない誰かに話しているような感じがする。僕の頭がおかしいのかもしれない。僕には見えていない別の人格が、僕の笑みに張り付いているみたいに感じる。とても平坦な気分になる。母がコンニャクみたいに見える。父は見知らぬ枯れ木の彫り物みたいに見える。
何もしたくない一日は長くて、自分が嫌になる。
昼、ルー・リードの『ベルリン』を聴いていて泣きそうになる。全身が白い光に満たされるみたいに。音楽に連れ去られそうになる経験は、とても久しぶりだ。再び音楽を感じられるようになったのかな? それともただ、ルー・リードがすごいだけなのかな。
2月6日(木)、
本の匂いが好きだ。
2月11日(火)、
2月に入ってから、何故か基本的に調子が悪い。特に昨日までの五日間は、何ひとつしたくなくて、椅子に坐ってひたすら怯えていた。薬を飲んで、お酒を飲んで、煙草を吸って、元気になるのを待っていたけれど、疲れるばかりで、自分の脳細胞がすごい勢いで死んでいるのを感じるみたいで、生きてても仕方ないと思った。さっさと死のうとまでは思わなかったけれど。少しだけ元気な時間があれば、ぼんやりとギターやアンプの画像を眺めたりしてた。
昨日はもう、今まで何ひとついいことなんて無かったように思えて、久しぶりに、ああもう嫌だとか、死にたいと思ってばかりいた。自分がひどく衰えてしまって、もう後戻り出来ないような気がした。
昨夜は10時半に眠って、今朝5時前に起きた。起きると割とすっきりしていた。いろいろと書きたいな、と思った。日本語で書けることは無限にあるとは言え、全てのことを書ける訳じゃない。いっぱい外国語を知っていたら素敵だろうな。全てを書ける言語は存在しない。だからこそ言葉は面白い。
以前は憂鬱で堪らなくなると、それが一ヶ月も一年も続くことが多かった。今はたった五日間落ち込んだら、六日目にはそれなりに回復する。運動も全然してないし、滅茶苦茶不摂生だし、栄養も取らないし、家からほとんど出ないし、ODも相変わらずしていたけれど、多分たっぷりごろごろしていたのが良かったのだろう。頭は悪くなったかもしれないけれど、ひどい鬱に陥ることが少なくなった。
2月12日(水)、
痛みも、恐怖も忘れられない。すごくうるさい音楽を聴いている。夜中、苦痛からの逃げ道が無くて、取り敢えず腕をざくざく切った。大きく切るときはハサミを使う。思いっ切り叩き付けるように切ると、傷口が歪になって、血がだらだらと出る。今日はカッターナイフを使った。「そうだ切ればいいじゃん」と思えると楽だ。切るのが怖いという感覚は分からない。一度切ると、二度目以降は、もう歯止めが利かなくなる。
僕は腕を数十針縫っているし、手首だけでも二十針は縫ったと思う。腱までざっくり切って、今でも痺れが残っている。病院に行くのが嫌で、縫わなかったことも多い。何の自慢にもならないけど、日本国内で僕ほど腕を切った人は、おそらく百人もいないと思う。貧血で倒れるくらい切った。包帯をいくら巻いても、血でびしょびしょになるくらい。腕が凹んでいる箇所もある。
フェザーのフラミンゴっていうカミソリが一番お気に入りだった。一気に静脈まで切れるから。脂肪のぷつぷつした層を超えて、血が面白いくらい噴き出す。家の駐車場の地面を噴き出す血で真っ赤に染めたりした。母は無表情にホースで血を洗い流してた。
昔々、はてなブログは自傷に何故か寛容で、自傷カテゴリーがあったくらいで、僕は不名誉なことに自傷カテゴリーで関連度(?)が一位だった。でも、もちろん同時にハイになるくらいの嬉しさも感じていた。はてなの中で僕が一番いかれてるんだ、って。でも、もっと切っている人もいた。だから実質僕は自傷ランクでは二番だったのだけど。
血とギターには親和性がある。ギターの金属弦は細くて指が切れそうで、そしてギターの音には血の色が混じっている。指先の痛みが好き。金属弦の鋭い音が好き。
カッターの刃を新しくして、十回ざくざく切る。血は、ティッシュを三枚使えば抑えられるくらいの量しか出ない。僕の腕はごつごつした樹皮みたいに、満遍なく皮膚がケロイド状になっているから、なかなか切れない。一度切った傷口をもう一度抉るように切ると、割と深く綺麗に切れる。
血の赤を見ると安心するから切る、という気持ちは分からない。僕は痛みが欲しい。鋭い、骨まで染みてくるような痛みが。一番最初のとき、十八歳の時はベルトやハンガーで身体を思い切り叩いていた。割れたハンガーが肌に刺さって血が流れたときから、何だ、自傷って思ったよりすごく簡単だと思った。
僕はこれでも、まともになりたい。でも僕の腕を見て(ちなみに両腕に傷がある。右腕の傷は少ないけれど、少ないだけに余計目立つ)、僕をまともだと思う人はあまりいないかもしれない。別にいい。誰かに正常者の烙印を押してもらえることを望んではいないから。
痛みを感じなくなる頃には、エンドルフィンが出ているんだろう。脳内麻薬。三十回カッターナイフを腕に振り下ろす頃には、もはや痒みさえ感じない。頭の中がふんわりしてくる。効果が無ければ、誰も自傷なんてしない。僕はそれでも一年以上も自傷から離れていたことがある。切ることを思いつきもしない。「まともにならなきゃ」と、そればかりを考えている。一年ぶりに切ると、やっぱり気持ちいい。ゆっくりゆっくり畳針を縫うように刺したり、安全ピンを付けたりする。たまにライターや煙草で腕を焼く。熱さよりも強い冷たさを感じる。
結局、百回くらい腕を切った。
2月13日(木)、
最近、キーを叩くのがすごく好きだ。キーボードを叩いているだけですごく気持ちいい。書きながら快感を登り詰めていく感覚を、もう一度取り戻せるといいな。
それから最近、活字から得られる快感がすごい。音楽中毒で、活字中毒になっている。ギターも弾きまくってるし、歌ってるし、読み書きをしてるし、……あとは勉強が出来れば言うことないんだけど。したいことが山ほどある。この頃、ベースの音や感触がとても懐かしい。
詩をもっともっと書きたいし、それから小説を書きたくて、この頃ちょこちょこ短い物語のようなものを書いて、練習している。
集中力を取り戻したい。「何もかもを捨てなきゃ」という強迫観念めいた気持ちに捕らわれることが多い。それでも、まあまあ集中出来る時間が、少しずつ増えてきたと思う。
集中出来ないときは、本当にひどくて、ミニマリストにならなきゃ生きていけないかもしれない、と本気で不安になる。
2月14日(金)、
近日中に弟が帰って来るらしくて、緊張したり、久しぶりに弟の顔も見たいなあと楽しみに思ったりする。
弟は誇張抜きで、僕とは別世界に住んでいる。海外にいて、基本的に英語で生活しているし、英語で会話をする彼女がいて、今は月何十万円だかのマンションに住んでいるとか言ってた。プールがあって、ジムがあって、音楽用の防音室があって、サウナに温泉もあるらしい。部屋の掃除は週二回、業者の人が勝手にやってくれるそうだ。身に付けているものにも、普段酒を飲む店にも、僕には想像も出来ないくらいお金を掛けている。六畳の部屋に引き籠もって、もそもそ本とか読んでいる僕とは、あまりにかけ離れた生活をしているので、羨ましいとも何とも思わない。でも、部屋から都市の光を見下ろせるのだけは、少しいいな、と思う。自慢そうに写真を送ってきたりする。話を聞いても、ふーんって思うくらいだし、僕は僕で、変な自信があるんだけど。
2月15日(土)、
僕なんかいなくてもいいと思ったら楽だ。それでも再生の季節は来る。
この世に幸せはある。それは間違いないことだ。でもそれ以上の悲しみがある。それもまた疑いようのないこと。
どんなに好きでも拒否されることはある。雨を願っても干ばつは来る。悲しい人に手を差し伸べたら、寧ろ恨まれることがある。
2月16日(日)、
夜、弟が帰って来る。特に感慨は無し。親しい友人とか、兄弟には数年ぶりに会っても、何か昨日会ったばかりの感じがする。
2月17日(月)、
弟と割と気楽に話した。カバンや靴も含め全身プラダを着ている弟と。カメラが趣味と言っていたけれど、持っているカメラがライカなのにはびっくりした。しかも一眼レフだ。僕の持ち物を全部売り払っても買えないカメラ。でも、弟の中身は変わってなくて、彼は別に気取っている訳ではない。ただ散財しているだけだ。
せっかく弟がいるのに、僕はほとんどの時間、いつも通り、部屋でギターを弾いて歌っていた。
昼、病院に行く。血圧は病院に着いてすぐに測ったんだけど、141だった。以前は200を超えているのが普通で、人のいるところだと緊張でふらふらしていた。今日は、いろんな人がいるものだなあ、と冷静に周りを見渡すことさえ出来た。先生とも普通に話せたというか、寧ろ僕が一方的に喋っていた。すらすらと言葉が出てくるのに自分で驚いた。
最近、鬱になったりハイになったり、ころころ気分が変わるけど、特に躁鬱という感じはしない。躁鬱の薬はきちんと飲んでるし、単に自分がすごく気まぐれなだけだと言う気がする。躁状態のときは、もっと、とんでもなく元気なので。
イリボーという薬を一日に一回飲むことになった。過敏性腸症候群の薬だ。僕が中学校に行かなくなったときも、本当は明らかに鬱状態だったけど、病名は過敏性腸症候群だった。
帰ってきて血圧を測ると124だった。もっと低いときには110台の時もある。
2月18日(火)、
あれも嫌だこれも嫌だと言って、腕を切ったり薬を飲んだりするのも仕方ないことだけれど、いつまでもそうしている訳にはいかない。何かが嫌なら、嫌じゃないことを探さなければならない。
淡々と勉強していくこと。疲れるのは大抵身体ではなく心だ。もう駄目だとしか思えないときでも、誰かからのメールひとつで、まるで別人になったみたいに、唐突に元気になって笑えたりする。
昼、「僕は空っぽなんだ」って気付く。何を持っていても、何が出来たとしても。僕は空っぽで、それは全然ネガティブなことじゃなくて、寧ろ清々しい。血を流して死んでいくだけ。全然悪くない。何もかも売り払ってもいい。ただ光を集めて、音を聴いて、色を浴びて死んでいく。
と考えつつも、高さ35cmの椅子を買った。僕の大好きなピアニストの、グレン・グールドの椅子の(座面の)高さが35cmだったそうだから。大抵の椅子は40cmから44cmくらいある。天才の癖を真似しても、あまり意味は無いのだけど。
僕はいずれは死ぬ。死ぬことを考えると、悪くない気分になる。
ここ数日、多忙なアニメーターみたいに、机の下に毛布を敷いて寝ているんだけど、密室感があって、孤立した感覚を得られるのが気持ちいい。
2月21日(金)、
昨日の夜は久しぶりに外食をした。豚カツを食べて生ビール(中)を二杯飲んだ。弟は小の生ビールをちびちび飲んでいた。父と母と僕と弟と。これで妹がいれば家族が全員揃うことになるのだけど。
2月27日(木)、
昨日は弟が大きな仕事を終えたとかで喜んでいた。部屋で遠隔ミーティングをしていたらしい。何か英語でぺらぺら喋ってた。僕は弟が大事な仕事をしてるなんて知らないので、部屋で大声でスミスを歌っていた。一階にいる母が、二階の僕の部屋に、もう少しだけ静かにしてて、と注意しに来た。弟は隣の部屋で仕事をしていたので、僕の変てこな声は確実にグローバル配信されていたのに違いないけれど、弟はそれについては何も言わなかった。ミーティングは成功したらしく、弟はとても嬉しそうだったので、僕も嬉しくなって、ビールを買ってきて三本飲んだ。僕は明らかに弟の仕事の邪魔をしていただけなのだけど。
2月28日(金)、
今月は変な気分が続いていた。笑っていると僕は僕自身からどんどん離れていく。
この社会の中で僕はどうなるんだろう、という不安は無い。どんなに延命技術が発達しても、死ねるのだから救いがある。ひょっとしたら100年生きるかもしれないし、今すぐ死ぬかもしれない。
僕はときどき、現実とは関係の無い場所にいる。でも多くの場合、僕は現実に囚われている。現実が何か、知っているわけではないけれど。
僕たちが現実と呼ぶものと、意識とは、本来何の関係も無い場所にある。意識が身体や脳や、そして生活から離れたとき、僕たちは自由になれる。すごく気持ちいい場所で。
意識がすっと現実から離れる時間。それを僕はトランスとか「あの場所」と呼んでいるけれど、本当のところ「あの場所」について「あ、あれね」と分かって貰えるような単語は存在しないと思う。もしそれを完璧に表現できる単語があるのなら、表現する必要が無い。
それは離人症ではない。僕は十代の前半から十年間くらい離人症に悩まされていたから分かる。離人症が一番辛かった。
現実世界で必要なものは優しさだけなのだと思う。
夜、母と弟が外出していたので、パソコンのディスプレイとコーラを買ってきてもらう。ディスプレイは半年くらい前から調子が悪くて、ずっとノイズまみれの画面を我慢して使っていたのだけど、今日はちょっとノイズが多すぎて、眼が疲れてしまった。一昨日に眼鏡を新調したのも関係しているかもしれない。
ディスプレイは弟が良いものを選んでくれたので、今は感動的なくらい画面がよく見える。コーラがとても美味しい。弟は明日には帰る(というのも変だけど)らしい。