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 ゲームなどの凌辱表現について 女性に読んでおいて欲しい話


 昨今、一部のメディアで話題になっている話で、PCなどのゲームの凌辱表現を規制するか否か、といった話があります。


http://algernon.livedoor.biz/archives/737985.html
http://arm1475.blog2.fc2.com/blog-entry-4217.html


 いろいろ話題になってますが、とりあえずこの辺? まあ、今までも何度となく繰り返されてきた議論なのですが。



 もちろん、賛成派反対派、ともどもに言い分はありましょう。ただ、そうした議論の中で、案外おろそかにされている部分があると思うのですよ。
 なぜ、ここまで凌辱表現を含む18禁作品が増えたのか、という話です。
 規制する側にしても、その理由を押さえなければ、手を変え品を変えしても凌辱表現を根絶するなんて土台不可能な話でしょう。
 また反対派の男性諸君にしても、いい加減「表現の自由」だけで自分たちの性的嗜好を守り切るには少々無理が出てきたような気がします。なぜ、我々が凌辱表現に魅かれてしまうのか、その根源のところを少し突っ込んで考えてみなければ。


 ……で、もうこうなったら恥はかき捨て、私自身のヰタ・セクスアリスの大盤振る舞いをしつつ、何故私が凌辱表現に心ひかれてしまうのか、という話をしてしまいます。
 特に、こうした表現が許せないと思っている女性の方にこそ、ちょっと一読していただきたいのですね。



 私は中学受験のために塾通いをしていたのですが、まあ成績は悪くなかったものの割とぼんやりした子供でして、まわりのませた同級生に比べて、性の知識なんててんでなかったのですね。
 何となく生殖器をいじっていると気分が良い、くらいの認識しかなかったので、ある時、よりによって講義中にいじくりまわして、それを他の塾生に見られてちょっとした問題になったりしたのです。小学校5年生くらいかな。
 で、塾から家族に通知がいきました。家族に詰問され、良く分からないなりに恐れをなした私は、陰嚢の裏側がかゆかったのだという、実に子供らしい見え見えのウソをついたのでした。結局そのウソで、塾側まで何となく押し切ってしまって不問になったのですが……。
 さて。この時、私に何が起こったのかを説明してくれた人はいませんでした。家族全員、この事を腫れものに触るように、一刻も早くうやむやになるようにと流すばかりでした。
 学校で性教育はありましたが、もっぱら女性がいかに赤ちゃんを産むかという話ばかりで、男の性に関する説明なんて通り一遍のものでした。
 子供時代の私は、性欲というものの正体もよく分からないまま、とにかく「どうもあまり触れてはいけない話題らしい」という学習だけをしたのでした。


 さらに中学時代になって、父親の勤務地の都合で母方の祖父母の家に預けられる事になったのですが、ここでは主に祖母によって、とにかく性的なもの全てが否定されました。
 思春期ですからエロ本くらい持っているわけですが、見つかると叱られましたし。テレビドラマでもちょっとした濡れ場はあるわけですが、そういうシーンになるとすぐさまチャンネルが変えられました。
 さらに、この時期に父親の浮気が発覚。私がいたのは母方の祖父母の家で、もともと両者の仲は昔から悪かったため、とにかく父親の男性性が徹底的に罵倒されました。男っていうのはスケベで本当にどうしようもないと、そういう話を毎日のように聞かされて、とにかく男性が性的な欲望を持つこと、それ自体が悪い事であるらしいと、当時の私は学習しました。


 その結果どうなったか。
 たとえば、ポルノメディアにおいて、女性が性行為中に笑っているもの、すべてを受け付けなくなりました。この場合笑っているというのは、ふざけてというのもですが、たとえば幸福に満ち足りて、笑みを浮かべながら行為に及んでいるようなの、それがすべてダメでした。
 なぜって、私にとって性行為は「いけないこと」だったからです。


 当時の私が、宮崎駿アニメ(のヒロイン像)に傾倒していた事も影響しているかも知れません。
 年頃の男ですから、性欲はあります。女性のポルノグラフィ的なものを求める事はします。
 ところが。とにかく性行為が、背徳的でいけない事、穢れた行いである以上、そうした行為を肯定している女性には、私は好意を持つ事が出来ない、と、こういう構図になったわけです。


 一言で言えば。
 性行為を肯定する女性に、私は好意を持つことができない



 にも関わらず、性欲というのは飽かずやってくるわけで、そういった18禁のメディアに触れたり、自分で妄想したりというのが止まるわけではない。
 この両者のベクトルがぶつかりあえば、出てくる結論は一つ。女性は拒否する、にも関わらず性行為が行われる。となれば、これはもう「凌辱表現」以外の何物でもない。


 ……ざっとこれが、私の性的嗜好の出自、その一つです。
 現状、「青少年に有害な情報を見せちゃダメ」な流れが主流である以上、私と同じ屈折を持っている若い男性は、少なくないのではないかと思います。


 凌辱表現規制を求める女性の方々は、現状の「青少年」がえてしてこういう屈折を抱く可能性について、もうちょっとだけ、考えてもらいたいなぁと思ったりする。
 もちろん我々も、凌辱行為が良くない事だと分かってはいる。しかし、自分の性欲が修行の邪魔だと剃刀で耳を切り落とした明恵上人でもあるまいに、そうそう自分の性欲というのがなくなるものでもないのですよ。その辺を多少は勘案していただきたい。
 好きで草食系男子やってるわけじゃないのよ?


 で、規制反対の男性諸氏も、少々つらいかも知れないが、自分の性的嗜好の出自にまでちゃんと考えを伸ばして、もう少し根源的なところで議論を深めて欲しいのですな。確かに現実に凌辱行為をしちゃいけないし、そういう趣味を持っている以上は世間に対して適性な距離を持つよう努力しなきゃいけない。しかしそれはそれとして、なんで自分の性的嗜好はこんな具合なのか、ということも考えて。時にはそれも発言していく必要もあるんじゃないのかな。


 だって、性の問題ってブラックボックスに入れっぱなしにしておくには、あまりにも大きすぎる。そうやってアンダーグラウンドに押し込めておくという事を続けていれば、余計に、もっと怖い何かになってしまいかねない。私にはそんな危惧がある。


 だからまあ、上手い方法かどうかはわからないけれど、恥を忍んでこんな過去の話もしてみた。とにかくこれを機に、どうかもっと、賛成派と反対派の間で、議論が深まるようにと願っています。



・2012年5月30日追記
 どうも未だに読まれている記事であるようなので、上記記事のうち、表現の紛らわしい部分を
 一ヶ所だけ訂正しました。
「私が好意を寄せる女性は、性行為を肯定してはいけない」という書き方だと、
女性の側にそうした規制を押し付けるようなニュアンスになってしまうので(そうした解釈による批判も頂きました)、
「性行為を肯定する女性に、私は好意を持つことができない」と書き改めました。
以上。