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2006年11月12日のブックマーク (2件)

  • 近衛十四郎の柳生十兵衛 - K.Sの落書き帳

    えーとですね。Googleの「イメージ」で「近衛十四郎」を探すと、・・・なんと、このブログの以前アップしたイラストがトップに来るのです!\(◎o◎)/! これは実に恥ずかしいというか、恐れ多いというか、・・・しかもそのイラストが、今見ると「似てねーっ!!(>_<)」 と、いうわけでリテイクして再アップしておきます。少なくとも似せる努力はしなくては・・・(^_^; 近衛十四郎の十兵衛は作品ごとに徐々に扮装が変化しますが、このイラストは、東映柳生武芸帳シリーズの最期となった「柳生武芸帳 片目の忍者」(近衛の十兵衛は、この後「十兵衛暗殺剣」がある)の衣装のつもり。一見忍び装束に見えますが、実は普通の黒い着物です。この作品での特徴は太い鎖の襷。 近衛十兵衛の眼帯はシリーズ当初はアイパッチでした。どうも、原作者の五味康祐氏のアドヴァイスで、「柳生鍔」に変わったらしい。今回のイラストはこの柳生鍔の形も

    近衛十四郎の柳生十兵衛 - K.Sの落書き帳
    EurekaEureka
    EurekaEureka 2006/11/12
    "眼帯はシリーズ当初はアイパッチでした。どうも、原作者の五味康祐氏のアドヴァイスで、「柳生鍔」に変わったらしい"
  • 国立国会図書館 「日本の暦」―大小の謎解き

    カレンダーには1月のように31日ある月と、4月のように1日短い30日の月があります。また2月は28日で、4年に1回の閏年(うるうどし)には29日になります。 1年を地球が太陽のまわりを1回転する期間とし、このように12ヶ月を設けるのは、古代ローマ以来の風習が伝わったものです。閏年があるのは、地球が太陽のまわりを回る実際の期間は約365.24日なので、4年に1回調節を行わなければならないためです。 このような現在の暦は「太陽暦(たいようれき)」と呼ばれ、日では明治6年(1873)から使われています。 では、それまでの暦はどうだったのでしょうか。暦が7世紀はじめに伝わってから、明治5年(1872)まで日で使われていた暦は「太陰太陽暦(たいいんたいようれき)」または「太陰暦」、「陰暦」と呼ばれる暦でした。 太陰とは天体の月のことです。「太陰太陽暦」は1ヶ月を天体の月が満ち欠けする