特別科学学級(とくべつかがくがっきゅう)とは、第二次世界大戦末期、日本を支える優秀な科学者や技術者の育成を目的として設けられた英才学級のことである。全国から選抜された児童・生徒が高度なエリート教育を受け、結果として敗戦後の高度経済成長を牽引する人材として、理工系をはじめ各界で活躍した。「特別科学教育学級」、「特別科学教育班」、「特別科学組」とも呼ぶ。 1944年9月9日、衆議院議員永井柳太郎によって「戦時穎才教育機関設置に関する建議案」が衆議院に建議され、同年9月11日に可決[1]。 同年12月26日、文部省は、「科学に関し高度の天分を有する学徒に対し特別なる科学教育を施し我国科学技術の飛躍的向上を図らんが為之が実施に関する方途を研究せんとす」として、 東京高等師範学校(東京教育大学を経た、現在の筑波大学) 東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大学) 広島高等師範学校(現:広島大学教育学