時田社長へのインタビューは、2024年の秋に本社機能の移転が完了した川崎のオフィスで実施した。取材場所となった会議室には、富士通が開発するシステムのデモを実施する設備もあった。 撮影:伊藤圭 ——2024年は能登半島地震をはじめとした災害や、世界での選挙など、変化が大きい1年でした。こういった「変化」をどう捉えていますか。 時田隆仁社長(以下、時田):2024年は2025年以降の変化の予兆の年だったかもしれませんね。 日本での災害をはじめ、世界中で何かが起きれば、 富士通として何ができるのかは常に考えています。 能登半島地震の際には、製造業の乱れたサプライチェーンを立て直す際に「Fujitsu Uvance」のソリューションをお使いいただいて、迅速に復旧できました。存在意義を感じる1年だったかもしれません。 テクノロジーって、近いようで遠いじゃないですか。 スマートフォンを使っていて「これ
