昭和40年から50年代にかけて、高度経済成長に伴い女性の社会進出が進んだことや、第二次ベビーブームの到来などを背景に保育需要が拡大し、保育施設の大幅な整備が進められました。しかし、当時はまだ「3歳までは家庭で保育するのが当然」「子どもは女性が働かないで家庭で育てる」などの考え方が主流で、保育施設こそ増えましたが3歳以下の子どもを受け入れる所は少なく、職業をもつ女性にとっては仕事と乳幼児の子育ての両立が現実的に極めて難しい時代でもありました。 そのような場合においても親の自己実現や乳幼児の保育が阻害されないようにするため、「子ども・親・社会に対して何かできることはないか」と前理事長夫妻が思案し、昭和48年に高崎市の自宅を改築して無認可の託児所「ひよこ乳児園」を開設し、受け入れ施設の少ない0.1.2歳児の保育をスタートさせました。 その後、低年齢児を受け入れる保育施設の需要が高まった高崎市から