Instagramは注目を集めるスマートフォン向け写真SNSです。写真という時代に合った表現手段と、シンプルな機能が人気の理由になっています。 世界で4億人が利用する写真SNS Instagramは2010年10月にサービスを開始したスマートフォン向けの写真SNSです。2012年4月にはFacebook社に10億ドルで買収されたことが大きなニュースとなりました。2014年10月にはTwitterの規模を超える3億MAU(月間アクティブユーザー)を記録し、2015年9月には4億MAUを達成。現在もユーザー数を伸ばしています。日本でも2014年ごろから急激にユーザーが増えはじめ、2015年6月には国内だけで810万MAUに達したと発表されています。「インスタ」という日本での略称もすっかり定着した感があります。 Instagramはアクティブなユーザーを多数抱えるSNSであると同時に、注目される
YMOがピークを過ぎた頃、戸川純は、細野晴臣と高橋ユキヒロが始めた〈YEN〉レーベルから出てきたように見えたことだろう。それは間違いではないし、それによって彼女の存在を知った人も少なからずはいたことだろう。 YMOを横目で見ていた僕にとって、それは少々違った。それよりも3~4年前、日本でもパンク・ロックをやっている人がいると聞き、僕はアナーキーやフリクションのレコードを探したり、ライヴにも行ってみた。幸運なことにアーント・サリーのライヴも観ることができた。なかではスターリンがやはりいちばんそれらしく見えた。 正確に思い出すことはできないけれど、パンクにはやはり夢中だったと思うし、イギリスで起きたことが日本でも起きるかどうか、それについて考えないわけにはいかなかった。僕にとっては、その先に戸川純がいた。個人的にはそうとしか思えなかった。 「音楽誌にはいつでも出られる。まずは新聞に出ないと」と
戸川純、非常階段、ともにいま、外国の人からよく名前を聴くミュージシャンである。この組み合わせは意外なのか。意外ではないのか。80年代の日本で彼らの活動に気を留めた人でも意見は分かれるところだろう。アルバムに付けられたライナーでは非常階段のリーダー、JOJO広重がいかに当時から戸川純にシンパシーを抱いていたかということが切々と書かれている。昭和歌謡の趣味が同じだということから実際にコラボレイションをはじめた経緯など。では、一方の戸川純にとって非常階段というのはどういう存在だったのか。毎年恒例となっている3月31日のバースデイ・ライヴ@新宿ロフトを前に戸川純に話を聞いた。 ■戸川純 / Jun Togawa 1961年、東京生まれ。82年、ゲルニカ『改造への躍動』でデビュー。個性的なキャラクターでテレビ、映画、CMなどで活躍。84年にソロ・アルバム『玉姫様』、戸川 純&ヤプーズとして『裏玉姫』
キミが家で打ち込みの音楽を作っているなら、ハウス・ミュージックは聴いておいたほうがいいと思う(もちろんクラブでも聴いたほうがいい)。なぜなら、ハウスをある程度わかっているだけで、キミの音楽がより多くの人に聴かれる可能性はいっきに高まるんだから。ことネット時代の今日においては。 シンプルでありながら、ハウスのビートの上にはいろいろなものを載せることができる。ハウスほど雑食的に多くを受け入れるビートはほかにはない。ソウルやジャズ、エレクトロニックな響き、実験的な音響、クラシカルな旋律、オールド・ロック,すべての歌モノ、そしてダブ、アフロ、アラブ、ラテン……この音楽が何かを拒むことはないように思えるし、本当にあらゆる音楽はハウスの上でミックスされる。 ここで用語解説。ディープ・ハウスとは、90年代半ば以降に意識して使われはじめたタームで、別に深さを競って生まれたわけではない。当時は、いまでは信じ
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