YMOがピークを過ぎた頃、戸川純は、細野晴臣と高橋ユキヒロが始めた〈YEN〉レーベルから出てきたように見えたことだろう。それは間違いではないし、それによって彼女の存在を知った人も少なからずはいたことだろう。 YMOを横目で見ていた僕にとって、それは少々違った。それよりも3~4年前、日本でもパンク・ロックをやっている人がいると聞き、僕はアナーキーやフリクションのレコードを探したり、ライヴにも行ってみた。幸運なことにアーント・サリーのライヴも観ることができた。なかではスターリンがやはりいちばんそれらしく見えた。 正確に思い出すことはできないけれど、パンクにはやはり夢中だったと思うし、イギリスで起きたことが日本でも起きるかどうか、それについて考えないわけにはいかなかった。僕にとっては、その先に戸川純がいた。個人的にはそうとしか思えなかった。 「音楽誌にはいつでも出られる。まずは新聞に出ないと」と