『「ブレードランナー」論序説』(筑摩書房)における加藤幹郎のスラヴォイ・ジジェク批判は、「彼にとって重要なことは、誰もが見知っている(つもりの)大衆的参照点を利用して、自説をわかりやすく開陳することだけである」と結論づけられている(p233)。「映画をダシにして、自分に都合のいい結論にばかり持ち込むのはよくないですよ」と言い換えてもいいかもしれないです。映画史の正確な記述にあまり興味のなさそうなジジェクの態度に、加藤幹郎や蓮實重彥が苛立つのはよくわかる。蓮實さんもジジェク批判をしていましたね。 ゼロ年代にジジェクが出てきて、私は単純に「わー、すごい」と圧倒されてしまった過去があるので、いまさら加藤批判に乗ってジジェクをやいのやいの言う資格はない。てへへ。こういう過去は積極的に認めるよ私は。当時は何だか輝いて見えたのであります。その頃は、まだ私自身も映画史に対する認識が甘かったし、勉強も足り