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初めて就職した頃: 気がつけば82歳
就職出来なくて自棄になった殺人事件などを聞くと索漠たる想いになる。 特異な事件なのだろうが今の若い... 就職出来なくて自棄になった殺人事件などを聞くと索漠たる想いになる。 特異な事件なのだろうが今の若い人達には厳しい世の中なのだろうか。 戦前のサラリーマンの家庭では女性が勤めることは殆ど無くて、女学校を卒業したら、活け花、お茶、料理など所謂花嫁修業をしてお見合い写真が方々から持ち込まれて二十歳過ぎには結婚するのが普通だった。 母の時代より少し遅くなったが二十三歳までが適齢期って感じだったな。 戦後になって働く女性も増えて来たが、父が亡くなって家計は苦しかっただろうに私は洋裁学校に通い、後は遊んでいても母も兄も就職の話はしなかった。 疎開先の農村に居着いたまま、閑なので図書館に通っているうちに館長さんと親しくなり「うちで働かないか」と言ってくださった。 図書司書になりたい希望もあって、母にも兄にも相談せず「宜しくお願いします」と即答したら 「一応、公務員の試験を受けてください」 丁度その時期だ