SNSで中傷されて自死したプロレスラー木村花さんの母親が「投稿者」に損害賠償を求めた裁判が、異例の経過をたどっている。母親側が証拠とした投稿の画像が第三者の捏造(ねつぞう)とみられることがわかり、母…
SNSで中傷されて自死したプロレスラー木村花さんの母親が「投稿者」に損害賠償を求めた裁判が、異例の経過をたどっている。母親側が証拠とした投稿の画像が第三者の捏造(ねつぞう)とみられることがわかり、母…
対談した山田尚子監督と新海誠監督「けいおん!」「映画 聲の形」「リズと青い鳥」「平家物語」等で知られる山田尚子監督が、オリジナル劇場アニメーション映画を創り上げた。人が色で見えるトツ子と才色兼備のきみ、音楽好きのルイの3人がバンドを組む「きみの色」(8月30日公開)だ。公開に先立ち、「君の名は。」「天気の子」「すずめの戸締まり」の新海誠監督との特別対談が実現。独自の“色”を持つふたりが、創作論から監督ならではの悩みに至るまで、とことん語り合った。(取材・文/SYO、編集/大塚史貴、撮影/奥野和彦) 新海:僕が最初に山田さんの作品に触れたのは「けいおん!」でした。社会的に大ヒットした作品ですが、アニメーションそのものの新しさや面白さ、楽しさ、可愛さすべてが当時衝撃で「キャリアや世代がかけ離れているような、自分から遠い人が作っているといいな」と思っていたんです。自分と全く違う属性の人が作ってい
一貫性のない人間だ、と周囲から思われています。 たとえば「大学の自治」という問題について、私は「大学は開かれているべきだし、近隣住民が散歩できる公園のような場であるべきだ。大学図書館だって、社会に知を還元すべく誰でも利用できることが望ましい」と思う一方で、別の誰かが同じような主張をしていたら「それってあなたが使うトイレにはカメラが仕掛けられないからですよね……」とも思います。 どちらも本気なのですが、それを表明すればどっちつかずの人間だと思われ(これもまた妥当な扱いだ、とは感じます。矛盾した主張をしていることは事実なので……)、私の言葉から説得性や切実さが欠けてしまいます。 そこで相談です。対立する立場のどちらにも妥当性があると考えているとき、そのどちらかに振り切ることなく、自分の言葉を真剣に聞いてもらうためにはどうすれば良いのでしょうか?(東京都・20代・男性・非会員) よい質問をありが
1 「文学」あるいは「近代文学」は終った、という物言いは決していまに始まったことではないが、ここ数年とみにためらいなしに口にされるようになった。だが、よく考えてみるとわかるとおり、ここで意味されている「文学」あるいは「近代文学」とは、言葉による表現すべてを指すわけでもなければ、近代という時代における文学という意味でさえない。 日本でいう「文学」あるいはそのほぼ同義語である「近代文学」とは、世界的に見ればごく特殊な意味を担わされた言葉だといっていい。近代文学といえばふつう近代における文学のことだが、日本の近代とは正確には「近代化の時代」であり、近代そのものではない。したがってこの国でいわれる「近代文学」あるいは「文学」とは、いち早く近代市民社会を実現した英仏といった「先進国」に対し、自らを「後進国」と位置づけた国に発生した、いわば「近代化」文学のことだった。 そのような歴史的概念としての「文
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