2011年3月24日のブックマーク (4件)

  • 北日本新聞webunプラス|富山のニュース情報サイト

    12日午前6時40分ごろ、立山町五百石で建物火災が発生し、消防が出動している。現場は立山町の中心部で建物から炎や黒煙が上がった。隣接する「まちなかファーム」にも...

    北日本新聞webunプラス|富山のニュース情報サイト
    hiroshi_fukunaga
    hiroshi_fukunaga 2011/03/24
    こういう話もうれしいですね。
  • asahi.com(朝日新聞社):迫る津波は想定以上 「危ない」リーダー機転60人救う - 社会

    「鈴木さんの機転がみんなを救った」と話す東北学院大の宮城教授。来の避難場所の寺は津波が襲い、がれきの山になっていた=宮城県七ケ浜町機転を利かせて60人を救った鈴木さん(右)と防災活動を指導した東北学院大の宮城さんは再会を喜んだ=18日、宮城県七ケ浜町  東日大震災で津波に襲われた宮城県七ケ浜町で、自主防災組織のリーダーの機転が60人の命を救った。県の想定を超す大津波の到来をラジオで知り、指定の避難場所から住民をさらに高所に避難させ、危機を脱した。  「先生、当に先生のおかげだぁ」  七ケ浜町花渕浜地区の自主防災組織リーダー、鈴木享さん(57)は、震災後に再会した東北学院大の宮城豊彦教授を抱きしめた。  鈴木さんら住民は、町内に住む宮城さんの指導で避難場所を決めるなど、防災に取り組んできた。宮城さんは津波防災の研究で知られる。  高齢者の多い集落では、地震後の長い移動が難しい。だから、

    hiroshi_fukunaga
    hiroshi_fukunaga 2011/03/24
    こういうニュースはうれしい。よかったなあ。
  • 東北関東大震災下で働く医療関係者の皆様へ――阪神大震災のとき精神科医は何を考え、どのように行動したか

    東北関東大震災下で働く医療関係者の皆様へ――阪神大震災のとき精神科医は何を考え、どのように行動したか 文全文 「災害がほんとうに襲ったとき」は中井久夫編『1995年1月・神戸 「阪神大震災」下の精神科医たち』(1995年3月刊・みすず書房)に収録されています。稿の電子データの公開および無償頒布につきましては、著者の中井久夫氏とみすず書房の許諾を得ております。 「災害がほんとうに襲った時」 中井久夫 ●パート1 電話は多くの生き残った人に「自分は孤独ではない We are not alone 」という感じを与える効果があったと私は思う 1995年1月17日午前5時46分から 最初の一撃は神の振ったサイコロであった。多くの死は最初の5秒間で起こった圧死だという。行政の対応が遅れた理由は簡単である。幹部は、多くは郊外の自宅にいて眠っていた。つまり一私人であった。私もそうであった。昼間

    hiroshi_fukunaga
    hiroshi_fukunaga 2011/03/24
    阪神大震災当時の精神科救急の手記。
  • asahi.com(朝日新聞社):〈伝えたい―阪神から〉強い覚悟で、時間を捧げて - 東日本大震災

    ■山口洋典さん(35) 浄土宗應典院主幹 被災地の情報に触れて被災者に感情移入し、「共感した」と思う。ところが、自分は全く変わりない生活を送っていることで、その共感が錯覚だったと気づく。いったい自分は

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    hiroshi_fukunaga 2011/03/24
    それぞれの立場で、被災者の方々のためにいまできることをつみかさねること。