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2009年12月28日のブックマーク (5件)

  • チェーホフの『曠野』 - Arisanのノート

    子どもたち・曠野 他十篇 (岩波文庫) 作者: チェーホフ,松下裕出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2009/09/16メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 6回この商品を含むブログ (11件) を見る チェーホフは、社会問題に深い関心のあった作家だと言われており、実際その通りだろうと思うが、中篇『曠野』を読んでいて分かることは、彼にとっての「自然」と「社会」とが、ある意味で分離できないものだったということだ。 この作品では、ロシア南部の広大な「曠野」の光景が、これから未知の世界に投げ出されて生きることになる少年のまなざしを借りて描かれるのだが、この「曠野」とはまさしく少年の眼前に広がるであろう世界そのもの、生そのものであり、したがってある深い意味での「社会」そのものだとも言える。 実際、この「曠野」は、そのような過酷な力の場としても描かれている。 また、そこは人間と動物とか、現実

    チェーホフの『曠野』 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/12/28
    「後にドゥルーズとガタリが「器官なき身体」と呼んだ、社会のある種の相、一見内省的とか退行的という風にも見えるが、同時にある真実さと力強さをもった社会的生存の造形のようなものとして、この「曠野」の光景」
  • 読了 - Arisanのノート

    サルトルの『存在と無』を、やっと一通り読み終えた。 存在と無―現象学的存在論の試み〈3〉 (ちくま学芸文庫) 作者: ジャン=ポールサルトル,Jean‐Paul Sartre,松浪信三郎出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2008/01/09メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 10回この商品を含むブログ (20件) を見る サルトルが「根的な企て」と言ってるものは、結局、「我有化する企て」のことらしい。 人間は誰もが、全ての行動(と非行動)において「神になること」を目指して、すなわち、それぞれの仕方で世界と自分を一体化させることを目指して(根的に)投企している。この意味で、全ての行動と非行動は、等価である。 この「我有化する企て」以上の規範のようなものは存在しない。 つまり、自由って、ことだよな。 サルトルが、人間の全ての生を「我有化する企て」と定義している意味は、われわれの行

    読了 - Arisanのノート
  • 声と集団の難しさ - Freezing Point

    「だれでも受け入れる集団」「全面受容」は、関係を分節する声を抑圧する。 あるスタイルの声しか認められない(聞いていない)。 無能力者の受け入れは、存在を受け入れる代わりに、相手の声を拒絶している(参照)。 けっきょくは自分のほうが強いことを確認し、弱者の存在を全面受容することで、完璧な声がアリバイづけられる(弱者の声は存在のレベルにしかない)。 弱者人も自分を正当化するのに、そういうロジックを使う(無能力な自分の存在を、自分の声のアリバイにする*1)。 知識人には、《つながり》をどう維持するかについては何の自覚もない。 自分たちの持ちよる声の態勢を疑わず、そこに問題の焦点があることに気づいていないので、彼らの提案は「自分」を自意識にしている*2。 声と集団の関係*3に気づいていない。 既存集団は、自分たちの声の態勢を決めてしまっている*4。 「私の集団こそが全面的に正しい」というイデオロ

    声と集団の難しさ - Freezing Point
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/12/28
    「その危機のスタイルは改編できないか?」「「全面受容」は、関係を分節する声を抑圧する。 あるスタイルの声しか認められない(聞いていない)。」
  • ノンケ――関係性のメインストリーム - Freezing Point

    26日の「虹茶房」*1に初参加。 以前から気になっていること ブログ経由で私宛てにいただくメールの何割かはセクシャル・マイノリティのかた。 「不登校・ひきこもり」を看板にした支援団体や当事者系グループは、セクシュアリティを表向きには扱えていない(参照)。 ひきこもりとセクシャル・マイノリティは、問題のディテールは違うし立場も様々だが、今回は当に話しやすかった。 個人的な相性もあるだろうが、「人権」とかの大文字の理念では関係は作っていけない*2、というあたりのお話(要するにある種の運動論)を共有できたことが大きい。 「価値観はさまざま」というが、私にとってそれは、つながり方の違いのことだ。 「同じ引きこもり経験者だから」というのは、つながれる保証にはまったくならない。経験に似通ったものがあっても、つながりを作ろうとした時にそれぞれが選ぶスタイルは、当にバラバラなのだ。 今回は「ノンケ」、

    ノンケ――関係性のメインストリーム - Freezing Point
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/12/28
    「「学校で教えたい授業シリーズ(大阪)」におられた朝来駿一(あさご・しゅんいち)氏の主催」
  • https://www.gmo.media/teacup?M=ORM&CID=1045&FS=3