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社会参加に関するishikawa-kzのブックマーク (7)

  • 声と集団の難しさ - Freezing Point

    「だれでも受け入れる集団」「全面受容」は、関係を分節する声を抑圧する。 あるスタイルの声しか認められない(聞いていない)。 無能力者の受け入れは、存在を受け入れる代わりに、相手の声を拒絶している(参照)。 けっきょくは自分のほうが強いことを確認し、弱者の存在を全面受容することで、完璧な声がアリバイづけられる(弱者の声は存在のレベルにしかない)。 弱者人も自分を正当化するのに、そういうロジックを使う(無能力な自分の存在を、自分の声のアリバイにする*1)。 知識人には、《つながり》をどう維持するかについては何の自覚もない。 自分たちの持ちよる声の態勢を疑わず、そこに問題の焦点があることに気づいていないので、彼らの提案は「自分」を自意識にしている*2。 声と集団の関係*3に気づいていない。 既存集団は、自分たちの声の態勢を決めてしまっている*4。 「私の集団こそが全面的に正しい」というイデオロ

    声と集団の難しさ - Freezing Point
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/12/28
    「その危機のスタイルは改編できないか?」「「全面受容」は、関係を分節する声を抑圧する。 あるスタイルの声しか認められない(聞いていない)。」
  • ノンケ――関係性のメインストリーム - Freezing Point

    26日の「虹茶房」*1に初参加。 以前から気になっていること ブログ経由で私宛てにいただくメールの何割かはセクシャル・マイノリティのかた。 「不登校・ひきこもり」を看板にした支援団体や当事者系グループは、セクシュアリティを表向きには扱えていない(参照)。 ひきこもりとセクシャル・マイノリティは、問題のディテールは違うし立場も様々だが、今回は当に話しやすかった。 個人的な相性もあるだろうが、「人権」とかの大文字の理念では関係は作っていけない*2、というあたりのお話(要するにある種の運動論)を共有できたことが大きい。 「価値観はさまざま」というが、私にとってそれは、つながり方の違いのことだ。 「同じ引きこもり経験者だから」というのは、つながれる保証にはまったくならない。経験に似通ったものがあっても、つながりを作ろうとした時にそれぞれが選ぶスタイルは、当にバラバラなのだ。 今回は「ノンケ」、

    ノンケ――関係性のメインストリーム - Freezing Point
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    ishikawa-kz 2009/12/28
    「「学校で教えたい授業シリーズ(大阪)」におられた朝来駿一(あさご・しゅんいち)氏の主催」
  • ビデオ「ひきこもり脱出マニュアル 全3巻」(監修:斎藤環、2003年) - Freezing Point

    制作・著作・販売: 「PEエデュケーション」 【注文フォーム】 ある図書館でお借りして、視聴できました。 ひきこもり状況の再現ドラマのあと、斎藤環さんが細かく解説し、ご家族向けのアドバイスを提示するというもので、お話の内容そのものは、全国の講演会でなさっているのと同じものです。 60分のVHSビデオ1が24,150円と、面らうほど高額です。 事情は何も存じませんが、「上映権・貸出権付き」であることと、職の俳優・スタッフによる再現ドラマなどで、費用がかさんだのではないでしょうか*1。 ビデオの性質上、個人で購入して所有するというより、公共施設や「親の会」有志でお金を持ち寄って購入するのにふさわしいと思います。 内容そのものは、斎藤環氏が80年代以来、2000例におよぶ臨床経験から編み出したアドバイスであり、仮に批判があるとしても、「これを踏まえた上でどうするのか」という、拠点としての意

    ビデオ「ひきこもり脱出マニュアル 全3巻」(監修:斎藤環、2003年) - Freezing Point
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    ishikawa-kz 2009/10/22
    「ひきこもる者を過剰に「いい人」に思おうとするのは、そう思おうとする側の症状だ。 過剰な信頼は、信頼する側のナルシシズム」
  • asahi.com:ひきこもり 支援へ拠点-マイタウン福岡・北九州

    ■県内初 北九州のNPOが運営 学校や仕事に行かず、自宅で過ごす状態が長期間続いている「ひきこもり」の人や家族への支援拠点となる北九州市のひきこもり地域支援センターがウェルとばた(同市戸畑区汐井町)に開所し、8日に開所式があった。運営を委託されたNPO法人STEP北九州の竹内レイ理事長(66)は「ひきこもっている人や家族が生きることが楽しいと思えるよう、力になっていきたい」と抱負を述べた。 (山下知子) センターは国の補助事業で今年度から都道府県と政令指定都市に設立されることになっている。運営形態などは各自治体に任されるが、北九州市は91年から不登校とひきこもりの支援に携わり、電話相談などの活動実績を積んできた同NPOに委託することにした。県内では初の設置だ。 常駐スタッフは3人。北九州市内の人を対象に、ひきこもり支援相談士や産業カウンセラーが相談に応じる。必要に応じて教育

  • 読書 - tamuraの日々の雑感

    岩田正美『社会的排除』有斐閣、2008年。 前にも、最初の方と終わりの方だけ読んでいたのだが、あらためてきちんと読んでみた。 社会的排除―参加の欠如・不確かな帰属 (有斐閣Insight) 作者: 岩田正美出版社/メーカー: 有斐閣発売日: 2008/12/18メディア: 単行購入: 10人 クリック: 90回この商品を含むブログ (30件) を見る大変、興味深く、また、勉強になった。 「社会的排除/包摂」というのは、とても漠然とした概念なのだが、著者は、現代社会の状況を踏まえながら、かつ、自己のホームレスの人々への調査も踏まえながら、明確なイメージを与えることに成功していると思う。 現代社会では、私たちは、なじみの人とのものも見知らぬ人とのものも含めた「複雑な関係の網の目」の中で生きている。そうすると、「社会的包摂」とは、この複雑な関係の網の目の中から必要なものを判断してそこに入ってい

    読書 - tamuraの日々の雑感
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/10/02
    社会的排除→「そうした複雑な網の目が(当事者に)意識されず、また、実際にそれらの中から必要な関係を選び取ることができず、もし関係があるとすれば、かろうじて特定の関係のみに「中途半端に」つながってる状態
  • Guy Standing - tamuraの日々の雑感

    この前集めた論文のうち、Guy Standing, "Why Basic Income Is Needed for a Right to Work," Rutgers Journal of Law & Urban Policy, Vol. 2, No. 1, 2005を読む。どうやら、何とかという人への反論として書かれたものらしい。 生活の基的な保障として、「job」ではなくて、まっとうな「work」(それは彼によれば古代ギリシャにまで遡ることのできる考え方で、有償かどうかとは関係がない)への「権利」を保障するために、ベーシック・インカムが重要なのだ、という話。悪条件で強いられる「job」への短期的な選択を強いられるのではなく、ベーシック・インカムによって、長期的な視座で「work」を選択できるようにするべきだ、とも。 ちなみに、ガイ・スタンディング氏は、3月下旬に来日・講演予定です。ま

    Guy Standing - tamuraの日々の雑感
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/10/02
    「悪条件で強いられる「job」への短期的な選択を強いられるのではなく、ベーシック・インカムによって、長期的な視座で「work」を選択できるようにするべきだ」
  • ■ - Freezing Point

    大人とは、必要な仕事を自分で決められること。 「やりたいこと」「どうやったら愛されるか」ではなく。 難しいのは、それが自分には(人間には)できないとき。 射程圏内にある「必要なこと」を自分で見つけられれば。 「人生は、次の二つで出来ている。やりたいが、できない。できるが、やりたくない」(ゲーテ) 同様にして、次のように言えるだろうか。 「やる必要があるが、やりたくない。やりたいが、やる必要はない」。 当に「やる必要がある」と思ったら、それは「やりたい」と同じではないか? 「楽だ」と思えなくとも、必要だと気で思えることは、「やりたい」ではないのか。 《必要》どうしのぶつかり合いに政治がある。 「欲望をあきらめるな」*1というラカンの格率は、欲望というより、「必要」と言うほうが良いように思う。 もんだいは、その「必要」がイデオロギー的に固定されていること*2。 固定された《必要》のありかた

    ■ - Freezing Point
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    ishikawa-kz 2009/09/19
    「射程圏内にある「必要なこと」を自分で見つけられれば。」
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