BLOGOSというサイトから連絡が来た。運営しているのは「あの」(と、つい枕詞をつけたくなってしまう)ライブドアである。ぼくのこの「散歩の思考」の記事を転載させてほしいという。こんな辺境ブログの何がいいのかはわからないが、興味をもってもらえたのはありがたいことである。といっても、何もかもが転載されるのではなく(だったら意味ないし)、世の中に意見しているような、古いジャーナリズム論的な言い方でいえば「ニュース価値」のありそうな、論説ふうの大文字的内容の投稿のみを選択的に載せたいのだそうだ。 試しにそのBLOGOSをのぞいてみた。政治家の「公式ブログ」というのがいくつも登録されている。いまやテレビ芸能人はいうにおよばず、政治家にとっても生き延びるためにはブログは必須アイテム、できればツイッターもやっておくのが望ましいと信じられているらしい。人気商売も大変である。 いい機会なので、政治家たちのブ
ITmediaの岡田有花記者による梅田望夫氏のインタビュー記事が、ネットで話題になり、あちこちで批判されています。梅田氏は「Web進化論」以降の数々の著作で、ネットの発展について常に楽観的な見通しを主張していたのに、最近になって悲観的な見通しに転じたと見られていることが、この批判の背景にあるのでしょう。 梅田氏がネットの世界にこれまで夢見てきたもの(そして今は裏切られていると感じているもの)が何であるかは、以下の梅田氏の言葉と、それを解説した海部美知さんの言葉でうまく表現されていると思います。 ただ、素晴らしい能力の増幅器たるネットが、サブカルチャー領域以外ではほとんど使わない、“上の人”が隠れて表に出てこない、という日本の現実に対して残念だという思いはあります。そういうところは英語圏との違いがものすごく大きく、僕の目にはそこがクローズアップされて見えてしまうんです。 日本のWebは「残念
残念なことに日本社会では理知的でフラットな議論は相手を選ばないとできない。そしてブログは公開する相手を選べない。Webがそういう同調圧力を飛び越えて個を確立するツールとなることを期待してはいるが、今のところ日本語圏ではネット上に別の世間をつくって新たな同調圧力を増幅させているかにみえる。 例えば日本語のブログで或る予算の使い途について課題を整理しつつ建設的な提案をしても「このエントリーを財務省が読んだら仕込んでいる政策玉に予算が下りない」とか勝手に慌てて国会議員に報告がいき、取引先のお偉方から勤務先の役員に「こんなことを書く社員を放置していると、御社はこの案件から外されますよ」とか丁寧にご注進して下さる。それが日本的ムラ社会の現実だ。 たまたま話の分かる役員なら「ちゃんと個人的な意見と断っているし、正しい当たり前のことしか書いてないじゃん」で済むとして、普通の日本企業じゃ「正しいか否かの問
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