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  • 歩きかたと登りかた - レジデント初期研修用資料

    研修医だった大昔、患者さんが病棟に上がってきても、オーダーを出すのが大変だった。 ある病名を背負った人に何を行うべきなのか、知識としては一応持っていたのだけれど、それをどうすれば「オーダー」という記法に落とし込めるのか、思うところを書いても、病棟からは「これでは指示を受けられません」なんて突き返されたり、「ふつうに点滴をつないでおいてくれればいいから」と言われた患者さんがいて、じゃあ「ふつう」とは何なのか、ラクテックなのか、ソリタT3なのか、まずはそこから分からなかった。生まれて初めて処方した「ふつうの」輸液製剤は10% EL 3号で、それを書いたら「どうしてEL なの?」なんて、先輩の研修医から怒られた。 駆け出しの当に最初のこの頃、けっこう長い期間途方に暮れて、たまたま集中治療室の患者さんを受け持つ機会があって、婦長からはじめて、「オーダーの書きかた」を教えてもらった。オーダー用紙に

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    mcgomez 2012/07/13
    「成功できる知識があるのににスタートできない」新人が、世の中には増えていく。
  • 自己紹介の戦略要素 - レジデント初期研修用資料

    「私はこれが得意です」という自己紹介は、わかりやすい代わりに役に立たない。「これが得意」は戦術レベルの長所であって、それを得意とするために、ならばその人はどの分野をの習得を諦めたのか、「私はこれを得意分野にするために、代わりにこの分野を切り捨てました」という自己紹介が、その人の戦略を教えてくれる。 切り捨てた何かを説明できない人、あるいは「私は何も切り捨てるつもりはありません」と答える人は、局所の戦術こそ得意だけれど、長期的な戦略を持っていない可能性がある。誰か上司について物を教えてもらう際に、戦略を持っていない人に弟子入りしても、伸ばしてもらえないから気をつけないといけない。 家庭医の教科書を読んだ 最近出版された「新総合診療医学」という教科書を読んだ。家庭医や、総合医を目指す若い人に向けて企画された教科書で、読んでみて勉強になったし、自分が知らなかった総合領域の記載は役立ったのだけれど

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    mcgomez 2012/04/26
    「自分が何を知っているのか」を語れる人はたくさんいる。ところが「自分のような立場の人間が何を知るべきなのか」を語れる人はずっと少ない。
  • 熱心な人は恐ろしい - レジデント初期研修用資料

    それが敵であっても味方であっても、正義や熱意で動く人というのは恐ろしい。 損得勘定で動く人なら、立ち位置が異なっても会話はできるし、お互いの行動はある程度読めるけれど、正義や熱意で動く人はまず真っ先に損得勘定を除外するから、何が出てくるのか分からない。 有能な敵は頼りになる 「有能な敵」は、状況によっては味方よりも頼りになる。「無能な味方」は、もしかしたら真っ先に背中を刺しに来る。 嗄幼くてはいけない相手だからこそ、抜け目のない敵は相手をよく観察している。観察した相手だからこそ話は通じて、立場は異なっても、ゆがみのない会話ができる。味方を自認する人は、味方であることにしばしば安住してしまう。観察を怠った人は、「あいつならたぶんこうだろう」という予測が外れると怒り出す。味方であったはずなのに。 当直時間帯における頼るべき「有能な敵」は、「見逃すと翌朝までに患者さんが亡くなりうる疾患」のリスト

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    mcgomez 2011/09/25
    患者さんに関わる誰もが「保身第一の屑野郎」ばかりになるだけで、回避できる医療事故はけっこう多い_φ(・_・
  • 問題と向き合う態度について - レジデント初期研修用資料

    それが勉強であっても遊びであっても、何かの問題に対峙したときには、まずはその問題とどう向き合っていくのか、自分の覚悟というか、計画を「これ」と定めておかないと、努力を積むときの効率がずいぶん変わってくる。 人間の先を超えた人 難しすぎて、人間には攻略不可能なんじゃないかと言われていた「怒首領蜂 大往生 デスレーベル」をクリアした人のインタビュー記事 が興味深くて、未だによく読み返す。 ゲームを攻略するときには、「リソース管理」と「クリア計画」という考えかたがあって、自分にはとても新鮮なものたに思えた。 <引用> クリアの計画とは普通のシューティングゲームを攻略する場合に使う大局的な考え方で、コンティニューしても何でも良いのでとりあえず1回ラスボスを拝むところまでプレイした後に、ラスボスを倒すためには何が必要かを見積ります。 具体的には、まずラスボスを確実に倒すためには残機が何機必要で、ボム

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    mcgomez 2011/09/04
    ひたすら頑張るやりかたは、「俺はこれだけ頑張ったんだ」という信仰の基礎になることはあっても、それを使って何かの目的を達成していく上では、やはり効率が悪くなってしまう_φ(・_・
  • 曖昧さという対立軸 - レジデント初期研修用資料

    上司にとって、曖昧な指示は武器になる。 「臨機応変に」やってくれだとか、「患者さん第一に現場の判断で」考えろといった指示を出すことで、上司は部下に対して「当たりくじだけ持ってこい」と命じることができてしまう。 あいまいさは便利 成果を厳しく問われない場所ならば、曖昧な指示は武器として役に立つ。無難なくせに内容のない、耳あたりのいい言葉を運用すると、上司は責任を回避しつつ、部下の成果を独り占めできる。 部下の側が曖昧な指示に抵抗しようと思ったら、「自分では無能すぎてこのケースを判断できません」という立ち位置で、全ての判断を上司にゆだねることになる。現場の誰もが無為に立ちすくんで、上司は無能な現場を叱って、組織の空気は悪くなっていくけれど、部下の側が結束している限り、上司はまともな指示を出さざるを得なくなる。 ピラミッド型の組織において、部下の数は上司よりも多い。現場の結束は、「まじめな」誰か

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    mcgomez 2011/08/14
    「厳密なのはいいことだ」という価値軸に反論するのは難しい。柔軟さにあぐらをかいていた側は、一度それが破られてしまうと、どんどん厳密に、厳密な方向に押されてしまう_φ(・_・役人体質とか言い出すんじゃないの
  • 砂場としての2ちゃんねる - レジデント初期研修用資料

    ネットは年々厳しくなっていくように思える。 ルールは昔を引き継ぐものだから、昔からいる人たちはすでにルールを知っていて、ルールはますます複雑に、あとから入ってきた人には分かりにくいものになった。ネットワークでできることはずいぶん増えて、ネットのうわさ話がニュースに取り上げられる機会も増したけれど、結果としてこれは、「やってはいけないこと」をやってしまった人が負うべきペナルティを、ずいぶん重たいものにしてしまった。 取り返しのつかない状況に陥るまでの時間も短くなった。HTML の昔なら、記事を書いて検索エンジンに取り上げられるのに1週間ぐらいかかったけれど、blog の記事をネットに上げると、5分もすれば Google の検索に引っかかる。Twitter はもっと速くて、書いて1分もすると、もう検索サイトにログが残って、そうなるともう、自分では記事をコントロールすることができなくなってしまう

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    mcgomez 2011/07/23
    ヨハネスブルグのメリーゴーランドと、豊島園のホラーハウスと、どちらが「子供向け」でどちらが「恐ろしい」のか、親御さんはたぶん迷わないだろう_φ(・_・
  • 説得の技術について - レジデント初期研修用資料

    踏み込んだ解答は難しい 資料を調べて、何かを書いて発信するときには、まじめに資料を調べるほどに、踏み込んだ意見を述べることが難しくなっていく。 何かを発信する際には、「こうだ」と断言してみせないと迫力がでないし、何よりも書いている人がつまらないのだけれど、調べた上で踏み込むと、資料の範囲を簡単に超えてしまう。 文章を書く訓練ができている人ならば、資料を集めて、その範囲で迫力のある自説を展開することもできるのかもしれないけれど、素人はどうしても、「まず論ありき」になる。論をまとめて、それを補強してくれるような資料を探して、資料が見つからなかったり、資料に照らして踏み込みすぎている文章は、あとから削られることになる。 最後は結局、面白さと正確さとのトレードオフになる。資料を引いた「○○らはこう述べている」という言葉一つとっても、異なった文脈で引用すれば、踏み込みすぎになる。以前出版させていた

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    mcgomez 2011/07/14
    面白さと正確さはトレードオフになる_φ(・_・細かい前提から言葉の定義までキッチリカッチリ述べようとしたら法律用語か論文ぽくなりますもんね
  • 悪い知識は大切 - レジデント初期研修用資料

    道徳は大切だけれど、道徳的な人間を生み出そうと思ったときに、道徳だけを教えたのでは片手落ちなのだと思う。道徳というものは、不道徳な「悪い知識」を土台にすることで、初めて堅固な力を持てる。 道徳の効用 理念や道徳というものは、「手続きに従えば簡単に扱える人間」を作る手段として役に立つ。 道徳を、道徳単体として「正しいものだ」と習った人は、道徳的に基づいて何かを促されると逆らえないし、よしんば法律に違反するようなことを命じられても、それが「道徳的なのだ」と強弁されると、高い可能性でそれに従ってくれる。 他人を陥れる方法や、欺瞞を運用して誰かに特定の振る舞いを強要する方法を教わった人は、人を操作するための手続きを見破ることができる。こういう知識を持った人は、運用された道徳から自由でいられて、結果としてたぶん、道徳や理念はどういうものが好ましいのか、自分の頭で考えられる。 どちらの人間がより好まし

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    mcgomez 2011/07/07
    「巨大なお城を沼地に作れば、沼が堅固な地盤に変化する」ことがありえないのと同様に、「政治家」としての思想や理想がどれだけ高くても、手続きの瑕疵は理想の高さで穴埋めできない
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