江戸後期の薩摩藩の家老。通称笑左衛門。島津重豪(しげひで)付御側御用人となり、文政一〇年(一八二七)藩財政の改革に着手。国内産物の専売、藩債の強制などで財政を再建したが、密貿易が発覚し、責任を負って自殺した。安永五~嘉永元年(一七七六‐一八四八) 江戸後期の薩摩(さつま)鹿児島藩士。通称笑左衛門(しょうざえもん)。使番,町奉行を経て1825年側用人,1833年家老となる。この間その手腕を認められ,藩主島津重豪(しげひで)より500万両の負債をかかえた藩財政の改革を命じられた。1835年,三都藩債年賦償還法を定め江戸・大坂・京都の商人からの借金は元金1000両につき毎年4両ずつ,無利子250年賦償還とした。一方,経済学者佐藤信淵らの意見をきき,出雲屋孫兵衛ら経済専門家を配下に集め,黒糖の専売制を実施し,ナタネ・薬種・生蝋などを増産させ,あらゆる国産物を専売制とした。彼が指導にあたった20年間