沖縄戦時に沖縄の離島で、校長先生が日本軍にお願いして撤退してもらったため、被害が少なかった事について知りたい。 ① 『渡嘉敷小学校創立90周年記念誌』(渡嘉敷小中学校 編・刊、1977.9) p41 「奇跡」の項目で、「…那覇とは目と鼻の先にある我が前島こそ、その島である。当時、島には渡嘉敷国民学校の分教場があってH先生夫妻が教鞭をとっていた。或日のことS大尉なる者が部下を連れて島へやってきた。…先生は住民を守るために来られたのであれば、兵隊が居ること自体が住民の為にならないので、お引取り願いたいと隊長に申し出た。…この島にも米軍は上陸してきた。くまなく調べた結果日本軍が居ないことを知った米軍は、この島には一切攻撃はしないから安心して畑にも海にも出てよいと言い残して、その日のうちに引揚げていったとのことである。」の記述がある。 ② 『渡嘉敷小学校百周年記念誌』(渡嘉敷小学校百周年記念誌編集
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