統一新羅の時代にも中国に渡る僧は続き、末期にかけて唐から禅が伝来した。特に新羅第40代の哀荘王の時代(808年)には、法朗が禅宗四祖道信の教えを伝え、813年(憲康王5年)には、曹渓南禅系の馬祖道一の門下である智道の教えを道義が伝えた。その後も同様に、洪陟・円鑑玄昱・忍寂恵哲・通暁梵日・大朗慧無染・哲鑑道允・真徹利厳らが、曹渓南禅系の教えを伝え、九山禅門が成立した。 後三国時代を経て、朝鮮半島には高麗王朝が成立した。高麗時代の朝鮮半島の仏教はシャーマニズムや道教のような自然信仰の仏教に変化した。高麗王朝によって鎮護国家の法として仏教が重視されて王都の興王寺など多数の寺院が造営されるなど仏教が保護された。[4]国王や両班の参列の下に燃灯会や八関会などの仏教儀式が盛んに行われた。[5]しかし、新しく伝えられた禅宗と、従来から存在する教宗は、次第に対立する様相も呈した。 これを憂えた義天は、宋に
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