ベストセラーとなった著作「応仁の乱」で知られる呉座勇一・国際日本文化研究センター助教の講演が22日、京都府亀岡市余部町のガレリアかめおかで行われ、応仁の乱で大きな影響をもたらした丹波地域の動きを解説した。 呉座助教は、京都での戦闘が長期化し、いかに補給路を確保するかが勝敗の鍵となったと説明。「都に至る主要ルートだった丹波は最重要となり、東軍の細川方が激戦の末、死守した」と語った。 また、応仁の乱後、丹波の武士が蜂起した「延徳の丹波国一揆」にも触れ、「細川家は財がなくなり、乱の時に酷使し、疲弊していた武士からさらに年貢を取り立てようとした。今でいう“ブラック企業”のようだ」と話し、一揆が鎮圧された後、細川家は内紛で弱体化したという。 呉座助教は「東軍の勝利とされるが、細川家は何も得をしていない。勝者なき戦争だった。教訓は現代にも通じ、争いをできるだけ回避する努力が必要ではないか」と締めくくっ
イエスとマリアの生涯を描いた絵画に祈りの言葉を併せた絵巻物「ご聖体の連祷と黙想の図」(320cm×22㎝、澤田美喜記念館収蔵)が、横浜市歴史博物館(横浜市都筑区)で11月23日から、企画展「神奈川の記憶」の展示場内で一般公開されている。 同作は12枚のつなぎ合わせた紙に、イエスとマリアの生涯を描いた15枚の絵、仮名文字で書かれた文章に続き、末尾に「ご出世以来千五百九十二年 はうろ(=パウロ)」と花押が記されたもの。長年にわたり澤田美喜記念館に収蔵、保管されてきたが、今年に入り、研究調査を重ねた結果、16世紀末くらいに描かれたキリスト教聖画である可能性が浮上した。誰が描いたものか、どこにあったものか、誰がいつ、澤田記念館に持ち込んだかなどについては現在まで不明。 11月25日には、横浜市歴史博物館講堂で緊急説明会が開催され、キリシタン研究、言語学研究、歴史研究など各方面の専門家らが、歴史的発
日本にキリスト教が伝わって間もない安土桃山時代に日本人の信徒、キリシタンが描いたとみられる宗教画が見つかりました。聖書のさまざまな場面が和紙に墨で描かれているほか、ラテン語の祈りの言葉も添えられていて、専門家は最も初期の信仰の様子を知る重要な発見だとしています。 和紙をつなぎ合わせた幅22センチ、長さ3メートル余りの巻物で、「受胎告知」や「聖霊の降臨」など、キリストと聖母マリアの生涯の15の場面が墨絵で描かれています。 かな文字で書かれた文章もあり、分析した結果、「聖体秘蹟の連とう」と呼ばれるラテン語の祈りの言葉を耳で聞き取って書き起こしたものと分かりました。 巻末には安土桃山時代にあたる「千五百九十二年」と書かれていて、和紙の成分の分析からも16世紀後半から17世紀前半のものと分かり、この年に描かれた可能性が高いということです。 この年はキリスト教が伝わってから40年しかたっておらず、日
【下野】下古山の児山城跡全域の範囲を確認する調査を本年度から進めている市教委は3日までに、堀の底から拳大の礫(つぶて)100個以上が出土したことを明らかにした。 合戦時に武器として使う「石つぶて」とみられ、これだけ多数確認されるのは県内でも珍しいという。5日午前10時から現地説明会を予定している。 児山城は、建武年間(1334~36年)に、鎌倉時代中期の鎌倉幕府の御家人多功宗朝(たこうむねとも)の子の児山朝定(こやまともさだ)によって築城されたと伝えられている平城。 本丸跡とされる堀と土塁の保存状況が良好なことから、1961年に県史跡に指定されている。しかし、これまで本格的な調査が行われておらず、詳細は不明とされてきた。 本年度から約5カ年計画で国の補助事業として調査に着手。これまでに、城の最終期と想定される15世紀末~16世紀前半ごろの土器が出土。合戦時に投石用として使われた「石つぶて」
室町時代の中期、東西両軍が11年にわたって繰り広げた「応仁の乱」。勃発から550年の長き時を越えて、現代読書人の熱い視線を浴びている。小学校社会科教科書に載るなど誰もが知る戦乱だが、戦国時代の合戦や幕末の動乱などに比べると、今ひとつ人気がなかった。しかし、中公新書「応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱」は昨年10月の発売以来、硬派な歴史新書としては異例の12刷・13万部を売り上げるベストセラーになっている。著者の呉座(ござ)勇一さん(36)と版元の中央公論新社にヒットの理由を聞くと、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)と新聞広告など新旧メディアの特性を生かした販売戦略にコアな歴史ファンが反応、多くの一般読者の関心を集めるまでに支持を広げたことが分かった。【大村健一/デジタル報道センター】
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