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2017年8月1日のブックマーク (4件)

  • LaTeXを使った数式の入力がWordやPowerPointで可能に。マイクロソフトが明らかに(追記あり)

    LaTeXを使った数式の入力がWordやPowerPointで可能に。マイクロソフトが明らかに(追記あり) 来月のOffice 365のアップデートによって、WordやPowerPointでLaTeXを用いた数式の入力が可能になることが、Microsoft Officeの開発エンジニアのブログに投稿された記事「LaTeX Math in Office」で明らかになりました。 ブログには「Next month you’ll be able to use LaTeX math in Office 365 math zones.」(来月には、Office 365の数式枠でLaTeXの数式が使えるようになる)と書かれています。 Wordで数式を入力するモードにしたときのリボンメニューには、下記のように「LaTeX」の項目が追加されることが示されました。 日語版のOffice 365やWordの対

    LaTeXを使った数式の入力がWordやPowerPointで可能に。マイクロソフトが明らかに(追記あり)
    sky-y
    sky-y 2017/08/01
    「最初はサクサク作れるけどだんだん重くなって落ちるPowerPoint」VS「図の配置やレイアウトを調整するたびにコンパイル待ち時間が発生するLaTeX Beamer」ファイッ!!
  • Vue.jsを教えるまでの道のり - sushitecture

    querySelectorを教えるべきかgetElementByIdとかでやるべきか一瞬迷う(結局querySelectorにする)

    Vue.jsを教えるまでの道のり - sushitecture
    sky-y
    sky-y 2017/08/01
    “手加減しててもこのくらい教える必要があるWebはやっぱり鬼畜だな”
  • 「自分が苦労していたんだから他人にも同じ苦労させたい症候群」にどう立ち向かうべきなのか

    タイトル長すぎると思ったんですが、「自分が苦労していたんだから他人にも同じ苦労させたい症候群」ってなんか適切な呼び方あるんでしょうか。 軽くぐぐったんですが、うまい略称が見当たりませんでした。どなたか、適切な略称をご存知でしたら教えてください。 まあ、字面から言わんとしているところは了解していただけると思います。 例えばPTAとか。例えば町内会とか。例えばマンションの自治会とか。 もしかすると企業や学校でもそうなのかも知れませんが、「ある程度長く続いていて、硬直化した組織」では、しばしば下記のような状態が見受けられることがあります。 ・どう考えても不要かつ無駄な作業が、何故か改善・撤廃されない ・改善しようとすると、そこに長くいた人から何故かよく分からない抵抗や圧力がかかり、改善することが出来ない ・現在の作業者も全員無駄な苦労だということを認識しているが、嫌々その作業を継続している ・

    「自分が苦労していたんだから他人にも同じ苦労させたい症候群」にどう立ち向かうべきなのか
    sky-y
    sky-y 2017/08/01
    “・かつて苦労した人たちに、「私は、あなたたちの苦労を尊重している」ということを伝えること・その上で、「みんなが苦労しなくて済むこと」を受け入れて欲しい、と伝えること”
  • 「新しいメディア」の虚無感 - @d_tettu blog

    メディア界隈の変化が激しい。スマホシフトとソーシャルメディアの隆盛で情報流通構造はここ数年で激変したし、それは既存メディアのビジネスモデルやコンテンツの在り方にまで影響を及ぼしている。各社(の中の一部の人たち)はこれまでの戦い方ではまずいと、新しい環境に適応しようともがき、試行錯誤を繰り返している。 その一方で新しい勢力も出てきた。数多くのバイラルメディアやニュースアプリ。僕はどれほどの残骸を眺めてきただろう。 大量のガソリンを積んで登場したそれらの多くはさほど燃焼せずに退場し、幸運な幾つかはnetgeekに取り上げられてちょっとした花火を打ち上げてその後は定常運転だ。人はそれをスペースデブリと呼ぶ。 メディア市場の動向を探れば新しい何かが見えるかなあと思い、ニュース界隈に関わってからの2年半、ウォッチを続けてきた。著名人がブログを書いてはそれを読んでヒントを探り、新しいメディアが生まれて

    「新しいメディア」の虚無感 - @d_tettu blog
    sky-y
    sky-y 2017/08/01
    “下野新聞の60回にわたる連載「貧困の中の子ども」。そこには「新しいメディア」なんてものは皆無だし、文体はどちらかというとトラディショナルだ。でも、胸にくるものがあった。”