韓国では社会の分裂の主要因となりうるほどの地域対立の存在[1]が広く知られており、政治面では大統領選挙や国会議員選挙における地域別得票率の極端な違いとなって現れる。1980年代末期でも残る最も苛烈な地域対立は南東の慶尚道と南西の全羅道の対立である。全羅道では出身者の8割近くが左派政党に投票する結果となっている[2][3]。元々複数の国家が朝鮮半島に乱立していたために、対立の歴史は古く、統一国家後の歴史では初の統一国家高麗の初代国王、王建にまで遡る。王建は高麗王朝の安泰のためとした十ヵ条の遺訓(訓要十条)の第八条に高麗に最後まで抵抗した後百済のあった全羅道地域に対して、「姦巧な言語をもって権勢を弄し、政事を混乱させ、災変を起こすので、たとえ良民といえども、それに相応する位に登用してはならない」と残した。これは父の甄萱に子の神剣王が反逆したことが、後百済の悲惨な末路となったことを念頭に置いてい
