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ブックマーク / 1000ya.isis.ne.jp (4)

  • 0107 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    この一冊には驚くべき示唆に富んだ新たな科学の可能性がいっぱいつまっている。「カオスと複雑系の科学」が躍り出た90年代を告げる一冊だったともいえるが、実はそれ以上の、かなり高度な内容を含んでいた。 ぼくは、京大の富田和久研究室に学んで、日で最初のカオス学ともいうべきを確立した津田一郎は天才なんだとおもっている。ああ、世の中に天才っているんだとおもったのは、このときが初めてだった。 そうおもったのは、彼がぼくの元麻布の家に泊まって一夜をあかし、朝まで話しこんだときからだった。このとき津田君は「新しいラプラスの魔」を想定して彼のコスモロジーの図を一枚のペーパーの上に描き、それを鉛筆で何度もたどりながら新しい科学のシナリオ案を披露した。それからチューリング・マシンとコルモゴロフの確率論の周辺を散策しながら、ついには少年時代の記憶の話に及んだものだった。 そのあいだ、ぼくもそれなりに勝手な話を挟ん

    0107 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    taskapremium
    taskapremium 2023/03/14
    京大の富田和久研究室に学んで、日本で最初のカオス学ともいうべきを確立した津田一郎は天才なんだとおもっている。ああ、世の中に天才っているんだとおもったのは、このときが初めてだった。> #utamaru
  • 0049 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    マイルス・デイビス自叙伝 マイルス・デイビス&クインシー・トループ 宝島社 Miles Davis with Quincy Troupe Miles 1989 [訳]中山康樹 ひたすら「ハーレム・リズム」というラジオ番組にかじりついていた東セントルイスの少年だったようだ。 父親にトランペットを買ってもらって先生についた。真面目に習っている。それからは東セントルイスの仲間たちとバンドをやりはじめた。 書は、このような単に音楽好きな少年がやがて怪物となり、病人となり、帝王となっていくプロセスを自分の言葉で詳細に語った記録である。ジャズのこともジャズでないことも、マイルス・デイビスが生きた時代のことならほとんど描かれている。 1944年に大きな出会いがあったらしい。ぼくが生まれた年だ。セントルイスの「リビエラ・クラブ」に“ミスターB”とよばれていたビリー・エクスタインのバンドが来て、その神技の

    0049 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 1131夜 『日本/権力構造の謎』 カレル・ヴァン・ウォルフレン − 松岡正剛の千夜千冊

    /権力構造の謎 カレル・ヴァン・ウォルフレン 早川書房 1990 Karel van Wolferen The Enigma of Japanese Power 1989 [訳]篠原勝 民主党の新代表が小沢一郎になった。まだ陣営は未発表だが巨頭体制になるだろう。小沢はただ一言、「政権をとる」だけを信条にしている。権力を握らないで、何が政治か、政党かというのである。 しかし、権力とはいったい何なのか。日においてはその権力はどのような制度や地方や経済に裏付けられているのか。実は意外にこれがわかりにくいのだ。 そこで、いったい日という国家は誰が権力をもっているのか。どこに権力の中枢があるのか。どのように権力がはたらいているのか。日人でさえ解きがたい謎に一人のオランダのジャーナリストが敢然と挑んだ。15年前の挑戦である。この手のはゴマンとあるが、ぼくが読んできたかぎりでは十指に入るもの

    1131夜 『日本/権力構造の謎』 カレル・ヴァン・ウォルフレン − 松岡正剛の千夜千冊
    taskapremium
    taskapremium 2013/12/16
    日本には責任をとって自殺したり沈黙したりしてしまうレスポンシビリティ(行動責任)があっても、政治的説明をしようとするアカウンタビリティ(説明責任)がないというウォルフレンの指摘がさかんに流行>
  • 0588 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    我と汝・対話 マルティン・ブーバー みすず書房 1978 Martin Buber Ich Und Du 1923 [訳]田口義弘 ブーバーはこういうことを考えた。世界は人間の二重の態度において二重なのである。人間の態度が二重であるのは、そもそも根元語が二つの対偶語から始まっているためである。 その根元的な二つの対偶語とは、ドイツ語でいう“Ich-Du”(我-汝)と“Ich-Es”(我-それ)ではあるまいか。この二つの根元的対偶語があることによって、人間は「我」そのものが二重であることを知る。だから、我を語るには汝を語ればよく、「それ」が語られれば我は語られ、そこに汝を語ることが介在できるのなら、「それ」を語ることからも存在の開示はあるはずである。 だいたいこういう前提で、ブーバーは我と汝の対話を始めた。そこにあるのはひたすら「関係」(Beziehung)だ。ブーバーは、その関係の世界に投

    0588 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
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