白村江(はくそんこう)の戦い(663年)直後に築かれた古代山城(こだいさんじょう)のうち、唯一、築城目的が謎めいていた鞠智(きくち)城(熊本県山鹿、菊池市)についてのシンポジウム「古代山城 鞠智城を考える」が25日、東京都千代田区の砂防会館別館で開かれた。同城周辺の古代官道の存在に焦点があてられ、九州南部の隼人経略のために築城された、とする説が急浮上してきた。 古代山城は、唐・新羅の侵攻に備え、朝鮮半島の技術を導入して築城された。大野城(福岡県大野城市、宇美町)、基肄(きい)城(佐賀県基山町、福岡県筑紫野市)は、大和朝廷の対外拠点・大宰府(福岡県太宰府市)から約5キロ圏内にある。 だが、同時期に築かれたとみられる鞠智城は、熊本県北部にあり、大宰府と約80キロ離れ、有明海からも約30キロ内陸部にある。唐・新羅の侵攻に備えたにしては、大宰府からも海からも離れた特異な位置に存在する。 ほかの古代