今日は、「効率的な効率化」について書きたい。 わたしは常々思っていたのだ。 効率化の必要性を強調しているわりに、それを個人に押しつけすぎじゃないか?と。 個人で省略できる作業や時間短縮できる場面なんて、かなり限られている。 より多くのムダを省きたいのなら、個人の努力をアテにするより、ムダなく機能する組織になるべきだ。 効率的な効率化には、「個人」の努力ではなく、「組織」の改革のほうが必要なはずだろう。 効率化の主語が常に「個人」なのは、おかしくないか? 「日本人の働き方は生産性が低い」「非効率だ」という指摘は、もう何百回も聞いた。聞き飽きたくらいだ。 いたるところでそれを裏付けるデータが紹介されているから、たしかにそういう現実があるのだとは思う。 同じ時間、同じ人数で働くなら、10の仕事より100の仕事が終わったほうがいい。そりゃ当然だ。 だから、「効率的に働く方法」が注目されるのはもっと
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