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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/aureliano (2)

  • 短編マンガの描き方 - ハックルベリーに会いに行く

    面白いとは何だろう?ふと思いついたのでメモ。「短編マンガはこう描く」ということへの一つの提案。さらには、短編マンガ以外への敷衍も。「物語の作り方」についての一つの型、メソッドとして。 テーマについてまずテーマを決める。テーマは、生きている中でふと感じた「感慨」が良い。「なぜ○○は○○か?」という感じの、「哲学的な問いかけ」が良い。それもできれば、人生に根ざした感慨や問いかけが。例えば、父と息子が親子喧嘩をしたとする。そこで父親が感じる感慨や問いかけ――「息子も昔は可愛かったのになあ」「なぜ思春期になると生意気になって、つき合いづらくなるんだろうなあ」この感慨や問いかけをもとに、テーマは「親子の断絶」と決める。 ところで、なぜテーマが必要か?それは、テーマは作品と読者をつなぐ架け橋だからだ。そのテーマを読者に共有してもらうことで、物語への感情移入を促す。読んだ人に「ああ、この気持ち分かるなあ

    yk183
    yk183 2009/05/10
    『テーマは、生きている中でふと感じた「感慨」が良い。』こういう創作論みたいなのはほとんど読んだことがなかったので面白かった。
  • 「傍観者の時代」――ドラッカーの中でも一番面白い本 - ハックルベリーに会いに行く

    ピーター・F・ドラッカーの著書「傍観者の時代」の中で、心に残った一節。長いけど丸ごと引用する。  私が思うに、世の中には、いつまでもバッタのように個別の問題に取り組んでいる人がいる。一般化することができずに、コンセプトを把握することができないでいる。科学者にもいるし、ビジネスマンにもいる。 ところが優れたビジネスマンは、優れた科学者や優れた芸術家と同じように、ヘンリーおじさんと同じ頭の動きをする。最も個別的、最も具体的なことから出発して、一般化に達する。 五〇年前の当時、人はまだあまりに経験志向だった。システム、原理、抽象化が必要とされていた。事実、私は当時、数論理論学と出会って一種の開放感を味わったことを覚えている。 しかし、今日ではわれわれは、逆の意味で再びヘンリーおじさんを必要とするに至っている。今日ではあまりに多くの人が、検証抜きの定量化、形式だけの純粋モデル、仮定による理論に傾斜

    yk183
    yk183 2009/03/20
    『論理の裏付けのない経験はおしゃべりであって、経験の裏付けのない論理は屁理屈にすぎないのである』
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