状況が裂いた部屋

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天使の囀り

 

ここ数年で一番の読書体験だった。とんでもなく面白い。ストーリー、提示される謎、構成、進み方、キャラクター、どれも圧倒的だ。

そして、あまりにも恐ろしい話だった。人間が自分の意思では絶対にしない、凄惨な死に方の自殺が次々に起こる。ホスピス勤務の精神科医の女性がその謎を追う。


いくつもの謎が提示されて、徐々に真相に辿り着くカタルシス。読んでいくうちにどんどんと引き摺り込まれた。

呪われた沢、死恐怖症:タナトフォビア、復讐の女神:エウメニデス、謎の教団、そして天使の囀り。たくさんの宗教的なモチーフが登場するが、特にストーリーの根幹となるのが蛇だ。古代からの寓話が多数出てくる。古代宗教の神であり、医学の象徴であり、そして夢の象徴でもある。たくさんの記号から謎に迫っていく構図から、昔に『ダ・ヴィンチ・コード』を読んだときの興奮が思い出された。


主人公が精神科医の女性、という設定が見事だ。精神医学の知見から謎を推察していく。事件により恋人を亡くし、真相を追うため関係者へ当たっていく。主人公は仕事柄、卓越した観察眼を持っている。対峙した相手の顔色や声、挙動から心理を読み、話を引き出す。事件に関わる動機、調査能力を持つ人間として無理なく完璧な設定。途中から登場する研究者・依田とのコンビはかなりお似合いだった。

 

心の病気は伝染しない。しかし自殺していく人々は皆、それぞれが抱えていた「最も畏れていること」に自分から向かっていき、命を落とす。まるで集団で何かに取り憑かれたように。まるでピラミッドの墓を暴いた調査隊が次々に謎の死を遂げた話のようだ(これにも着想を得たのかもしれない)。

超常的な力が働いているとしか思えない状況で、科学的な知見から因果関係を明らかにしていく構成は魅力的だ。TRICKが大好きな人にはたまらない。

 

恐ろしい描写が続く中盤の「テュポン」「蜘蛛」「メデューサの首」は一気に読んでしまった。目を背けたくなるようなおぞましさなのに、ページを捲る手が止まらない。物語に引き摺り回される快感。面白い本に没頭することの愉しさをとことん味わった。普通に生きていたらリアルでは起こらない凄惨な話が、本の中では圧倒的なリアリティで繰り広げられる。そんな物語を読むと癒される。

一番のクライマックスである施設への突撃で、主人公はあまりにもグロテスクな地獄を見ることになる。このシーンは読みたいけれど文字の全てを目に入れるのは直視に耐えないので、目を細めて読み飛ばすしかないほどだった。ここまでやるか、というくらい徹底的におぞましい。

人物の描写は割と淡白だが、それでも会話を読み進めるうちに魅力的に思えてくる。恋愛や肉親との関係みたいな雑音が少なめなのが良い。邪魔がないからストーリーに没入できる。容姿の描写はほとんど無いのに、主人公の北島早苗がかなりの美人であることが伝わってくる。キャラが立つ会話と行動の描写だ。

 

貴志祐介は『新世界より』しか読んだことがなかった。こんなにすごいとは。ツイッターで見て5年近く前に保存した、ある読書リストでこの本が勧められていて、それがきっかけで読んだ。リストの作成者はこの5年で作家デビューを果たし、文フリでサイン本を配っていた。現地で話しかけようか迷ったが、あのリストをもっと消化して、自分も書いてからにしようと思う。