二次元オタクは多かれ少なかれ現実だとそうはならない可能性の方が高いであろう都合のいい展開を求めている。いわば反リアリティとでもいうべきものを求めている。
てんぷるなんてその塊だろう。
一方で三重さんに対してはその反リアリティが不自然さとして感じられてしまう。ほぼ必ずメガネを忘れることは由緒正しいドジっ子の文脈上で設定されたものであるはずなのだが、どうにもあれに対しては反リアリティが肯定的にではなく違和感として受け取られる人がいる。より都合のいいキャラや展開を描写するという精神は同じなのに、違和感なくそういうものとして特に自覚なく消費してしまうものとそうでないものの違いとはなんなのだろうか